「世界は操作できない」ボイジャー penさんの映画レビュー(感想・評価)
世界は操作できない
フォルカー・シュレンドルフは「ブリキの太鼓」くらいしか鑑賞したことがありませんが、その1本が私の中に強烈な印象を残していて、その監督の幻の名作という触れ込みでしたのに加え、主演が昔から好きな、ジュリー・デルビーと今は亡きサムシェパードの二人なので、これはもう見る以外にはなかろうということで、劇場に足を運びました。
父親の死別・離婚などの場合は、空想的な父像を抱えながら、依存や過剰な自立傾向が観察されることが多いらしいのですが、サビーナが、父親と同じくらいの年齢のウオルターに恋愛感情を抱いたり、ウオルターに制止されながらも、一人でヒッチハイクすると強く主張するのは、多分この過剰な自立心を投影しようとしているのでしょう。その後のもろもろの展開は、ギリシャ神話を連想させるもので、その始まりの舞台が美しいギリシャだったというのも象徴的な展開だったように思います。
原作小説『ホモ・ファーベル(Homo Faber)』は残念ながら未読ですが、AIによると「作る人」という意味で、哲学者ベルグソンが機械的・実用的な知性の象徴として使用したことで知られる言葉だそうです。著者マックス・フリッシュは、技術と進歩が人間を幸福に導くという幻想に疑問を投げかけ、物語を通して、ウォルターの「世界を操作できる」という信念が崩壊していく姿を描いているようです。
映画でもこの物語のアウトラインはそのまま生かされているようなので、「世界を操作できない」どころか、まさにAI・分断・格差拡大により人類が破滅の瀬戸際に立たされているようにも思える今の世界に、十分通じる視点をもっているように思いました。
主演二人の繊細な演技や、美しさ、そして監督の、光や風を使い、セリフで多くを語らせない演出が、とても良かったです。久しぶりに中身のある作品をみたような気がします。