プリティ・ベビーのレビュー・感想・評価
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タイトルなし(ネタバレ)
初公開時以来の再鑑賞。そのときは、ハル・アシュビー監督『帰郷』との名画座2本立て。
20世紀初めのニューオーリンズの娼館。
娼婦ハティ(スーザン・サランドン)の娘に生まれ、娼婦になるべく育った少女バイオレット(ブルック・シールズ)。
12歳のバイオレットは、まだ売り物ではない。
ある日、写真家のベロック(キース・キャラダイン)がその娼館にやって来・・・
といったところからはじまる物語。
娼館から出たことがないバイオレットは、男に媚び、弄ぶことが大人の証と思っている。
が、それは少女特有の残酷心と、彼女の眼からみた大人の姿。
バイオレットのこれまでの人生同様、映画も娼館から外へ出ない(表の通りなどは写されるが)。
それでも退屈せずにみせる演出力。
さて、13歳になり、バイオレットが初めて売り出される日。
薄物一枚で輿に乗ってお目見えする彼女。
彼女を買おうとする客たちの好奇の眼差し。
客たちの顔を正面から捉える。
写真家のベロックは、やや車に構えている。
バイオレットをみる眼のなかに、ひとりだけ侮蔑や憐憫の眼差しを向ける者がいる。
ピアノ弾きの黒人男。
カメラは、振り向き眼差しを送るピアノ弾きの顔を背中越しに捉える。
このシーン、カメラのポジションでそれぞれの視線の意味を違えるという演出で、上手いなと唸ってしまう。
そして、輿に乗ったバイオレットの姿に、藤子・F・不二雄『ミノタウロスの皿』を思い出す。
残酷なのだが、彼女にとっては誇らしい。
複雑な感情が渦巻いている。
母ハティはその後、お大尽の男を捕まえて結婚、バイオレットを残してセントルイスに行ってしまう(バイオレットのことを、歳の離れた妹と偽ってい、いっぱしの娼婦になったからだ)。
バイオレットも客をとり続け、人気の娼婦になったが、写真家のベロックの求婚を受け、結婚。
遂に、娼館を出ることになる。
普通の映画だと、娼館を出て自由を掴んだバイオレットは幸せになりました・・・となるのかもしれないが、映画は更に残酷度を高める。
娼館の中では、もっとも若く、もっとも人気のあるバイオレットだったが、世間に出れば、世間知らずのわがままな小娘。
にもかかわらず、人妻。
少女趣味のベロックはバイオレットを愛しているようだが(というか、成熟した女性は愛せないように描かれている)、それでも夫としての横暴さがバイオレットには目につき、気になってしまい、遂には我慢が出来なくなる・・・
最終的には、真実を夫に告げた母ハティがバイオレットを迎えに来、セントルイスへ向かうところで終わるのだが、どうにも救いがないような物語だ。
全編を通じて、スヴェン・ニクヴィストの美しいカメラが、少女の残酷な物語をオブラートに包んでいるが、現代視点では(公開当時もか)ルイ・マル監督の超問題作といったところ。
公開当時は「懐古趣味」的な売りだったように思われるが、さて、どうだったろうか。
なお、DVDは米国黒人奴隷史を描いた『ヤコペッティの残酷大陸』とあわせてレンタルした。
ピアノ弾きの黒人男の眼差しは、そこからの連想でもある。
少女に潜む女の怖さと無垢を描いた風俗美術画のルイ・マル演出の見事さ
ルイ・マルが初めてアメリカで映画を撮った。舞台は1917年のニューオリンズで、そこでストーリービルと呼ばれていた売春街からカメラは動かない。「好奇心」「ルシアンの青春」と大人になる前の少年を主人公にしたマル監督が、今度は身体は未成熟ながら認識として男女の営みを当然視する少女を主人公に、ジャズと淫靡な風俗を恐ろしくも奇麗に描いている。モデル出身の美少女ブルック・シールズを抜擢し、ニューオリンズを舞台に選んだところに、ジャズ愛好家のフランス人マル監督らしい選択が窺える。当時の世相から13歳ほどの少女が売春をしていたことは事実であったようだが、マル監督の興味は元論、これをスキャンダル風に描いて見世物にする事ではない。名手スベン・ニクビストの撮影の協力を得て描かれたのは、事実は事実として突き放して設定しながら、少女の中に潜む女の部分と無邪気な幼さの両面を優しく表現することであった。そこにマルの作家としての人間観察の鋭さがある。物語自体は特にドラマチックではなく、売春宿の日常を丁寧に描いたシチュエーションを並べた平坦なもので、その一つひとつに少女の可愛らしさが美術的に表現されていた。
特に素晴らしいのは、最初の演出だ。ストーリービルの夜景からバイオレットのブルック・シールズの顔のアップ。これが何とも美しい。すると女性の悶え声が聞こえて、どこか如何わしい雰囲気が漂うが、それは出産を迎えた母親の陣痛の声であった。男の子が生まれて、それを伝えるのに階下に降り、客と娼婦が入り乱れたサロンに現れる。お祝いに黒人のピアニストが調子よくキーを叩く。このピアニストの格好良さと指の美しさ。ほんの短いシーンで、この映画の世界観が凝縮され見事に表現されている。演出美の見本みたいなファーストシーンだった。写真家べロックが現れるシチュエーションもいい。一人起きていた母親ハティがモデルになる。それを見て口出しするバイオレットの子供ならの仕草が愛らしい。バイオレットの“水揚げ”シーンはショッキングながら、これもマル監督らしい優しい視点によって微笑ましくユーモラスな場面になっている。400ドルの値段を付けられ、先輩格の娼婦たちがアドバイスをすると、彼女は解っていると反応する。買った男が帰り、彼女たちが駆け付けると、バイオレットは死んだ真似をしている。心配する彼女らに、おどけて笑い出すバイオレット。それに釣られて笑う娼婦たち。何という、この状況だろう。黒人少年に悪戯しようとしてマダム・ネルに叱られるシーンでは、南部の人種問題を内包しながら、そのバイオレットの反抗振りが子供じみて可笑しい。少女の怖さと幼さのこの対比。
しかし、本当の怖さはラストシーンにある。売春地区が廃止される政府の政治的変動を経て、バイオレットはストーリービルを去る事になるのだ。普通の13歳の女の子として実社会へ入ることの恐ろしさを内に秘めたハッピーエンド。彼女がどのようにして普通の社会に溶け込んで行くかは、観客の想像に任せている。
ルイ・マル監督がストーリービルの13歳の娼婦を描いた風俗美術画のような映画。ブルック・シールズが難役を演じて存在感があり見事。舞台になる売春宿の美術とセットも奇麗に再現されていて、マル監督の演出の巧さとセンスの妙味が傑出した秀作だった。
1978年 10月14日 スバル座
ヴァイオレット
1978年 ルイ・マル監督の米進出作品
自分も早熟だった天才監督が
美少女シールズの中に、ヨーロッパの退廃の香り
(父親が 伊 トルトニア家の血筋)をも 嗅ぎとって、
作っちゃったみたいな作品
そして これが 彼女の映画作品の決定打になってしまう…
彼女を取り囲む 大人の俳優達も、1910年代のニューオリンズの娼館の様子も よい
母親役の サランドンが若い(体も、声も!)
妖艶な娼婦から 気難しい堅気の母親への
変化もすごい
(教育ママになりそう)
自らの体を 取引するヴァイオレット(シールズ)は
幼くてもリアリストで、ベロッキよりも 新しい生活 (可能性のある)を 選ぶ
時代の波で 消えゆく娼館と女達を記録した写真
(歴史的価値あり)と共に、ベロッキ(キャラダイン)は 捨てられるのである
ベロッキ、かわいそ
ヴァイオレットは 写真を撮られる度に、彼のことを 思い出すだろうか
少女売春を扱った問題作でもあるが、ベロッキに同情することとなってしまった
監督が 才人なのに、いまいち人気がないのは この辺の冷痢冷徹な目線で、我々の心も欺瞞も 打ち砕くからだろう
(天才である)
なお 同じ波をかぶった娼館のピアニストとその音楽仲間も、ミシシッピ川を北上し
ジャズの進化に貢献する
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