ファイブ・イージー・ピーセスのレビュー・感想・評価
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【”愛を持てない男”恵まれた家庭からのドロップアウトの果ての哀しみと虚無を描いた作品。”俺がいないと全てが上手く行く。俺は疫病神なんだ・・。”という台詞が男の哀しみを表現している作品でもある。】
■石油採掘場で働くボビー(ジャック・ニコルソン)は、何事にも熱意を感じられず、無目的な日々を送っている。 ある日、同棲相手のレイ(カレン・ブラック)が妊娠。結婚を迫る彼女から逃れるために訪れた姉の家で、父が倒れたと聞かされたボビーは、レイを連れて3年ぶりに帰郷するのだが…。 ◆感想 ・今作は、資料によると公開が1970年である。「イージー・ライダー」に代表されるように、自らの周りの全てを捨て去り、新しい価値観を追い求めていた人々が、多数いたとされる時代である。 ・今作のジャック・ニコルソン演じるボビーも、同系列であろう。恵まれた音楽一家から3年前に居なくなり、その後は炭坑などで当てのない生活を送っている。 ■今作の名シーンと言えば、ラスト近くボビーが認知症を患った父を海岸に連れていて、涙を流しながら、語った言葉であろう。 ”俺がいると、その場の空気が悪くなるから、逃げ出しているんだ。俺がいないと全てが上手く行く。俺は疫病神なんだ・・。” ・つまり、彼は新しい価値観を求めて居たわけではないし、只、家族や友人を思い、”自分がいると皆駄目になってしまう・・”との想いから漂泊の旅に出るのであろう。 <今作は、ジャック・ニコルソンの初主演作だそうであるが、そんな哀しき男を見事に演じていると思った作品である。>
ウッドストックとベトナム
悩めるアメリカ人が行きあたりばったりにちょっとした事件や争いを続けてゆくだけで、これといった筋もドラマチックもありません。 あの時代の空気の中で、アメリカ人が共感する映画なので、部外者でかつ時代を隔てた今の日本人が見てもピンときません。 ニコルの旦那が主演だから観られました。悪くはないですけど理解はできないでしょう。
人生を彷徨う男の詩
初期のアメリカニュー・シネマの中で最も感銘を受けた作品。それまでの映画の形を小説に例えるなら純文学とすると、ニュー・シネマは日本でいう私小説であり、随筆に近い。ドラマとしての面白さや感動を訴えることより、作者が思う心の表現として映像を媒体とする形になった。感動より共感・共鳴の個人的な、または限られた鑑賞法に変化した。 この映画は、人生の挫折を味わった人には、主人公がなぜドロップアウトしたのか、なぜ慕う人を避けるのか、なぜ家出したのに自分の無能を父に告白したのか、そして、どこまで逃げるのか、それらの具体的な説明や描写がなくても理解しようとするのではないか。そこにこの映画の面白さ、良さがある。唯一、途中二人のヒッピーと交わす会話のシーンが笑いを誘う。彷徨い続けるジャック・ニコルソンの救いのない虚しさ、愛しても答えがない関係に気付かないカレン・ブラックの哀れさ、がいつまでも気にかかる映画。
放浪息子
人生をリセットしてゼロから始めることの繰り返しを続ける彼には先に何が残るのだろう。 主人公の感情が掴めないし読み取れない即ち感情移入も共感もできずラスト、父親と対話する場面で泣いてみせるがその意図すら解らない!? 何かを期待して新しい場所へと向かうのか?都合が悪くなるから今の場所から去りたくなるのか? 簡単に纏めてしまうと自分に甘くて逃げ癖が付いてしまった男の印象が強くなる。
もっと社会はにしてもらいたい
冒頭の「スタンド・バイ・ユア・マン」の曲が懐かしさを醸し出す。一番印象に残るのは、渋滞のハイウェイにて前を行くトラックの荷台にあるピアノを弾き始めるニコルソン。女を二人乗せたあとでダイナーにてウェイトレスとの口論のシーン。 アメリカン・ニューシネマの代表格でもあるこの映画は、社会に対する不満よりも家族や恋人に対する不満が大きい。なんだか観ていても虚しくなる。それぞれのエピソードは面白いのになぁ。
これはこれで面白い。
ストーリーって言うよりは人間の不条理、感情、生き方が現実的で良かった。 シャイニングやイージーライダーほどジャックニコルソンの派手な演技は無いが人の生き方はそうそう変えられない演技は上手かった。最後にジャックが彼女を捨てトラックでいなくなるシーンの彼女がジャックを探すシーンはなぜか悲しくてジーンっと来た。
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