「何を為し、何を為さなかったのか。 何を為さねばならなかったのか。何ができたのか。」日の名残り とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)
何を為し、何を為さなかったのか。 何を為さねばならなかったのか。何ができたのか。
厳かで華やかでありながら、静かな、静かな物語。なのに、その物語の土台には激流がふつふつと流れ…。
DVDの特典映像では、監督が、制作者が、原作者が、役者たちが、言葉を変えて、言う。
「あの時代、戦争・あのひどい出来事を止めるために、何ができたのか。
今の世界の様々な地域で起こっている紛争を止めるには何ができるのか」
第一次大戦後、第二次大戦に向かう時代と、第二次大戦後を交互に描く。
主に主人公・スティーブンスにフォーカスされて物語は進んでいくが、様々な人が出てくる。
執事として、歴史的大舞台の采配を任せられるほどの力量をもつスティーブンス。
他家からの評価も高い。職務に忠実で、職務を遂行するための努力も欠かさない。そんな自分の生き様に誇りも持っている。
職務に忠実すぎて、職務を遂行する以外のことには、見ざる聞かざる言わざるを通す。ユダヤの少女を解雇するときは、一瞬だけ反論するが、結局主の言いつけ通り。世界情勢に気を払っていれば、解雇した後、かくまうくらいはできたであろうに。女中頭のミス・ケントンがなぜ激高するかにも耳を貸さない。
高潔な主に心酔し、職務以外については自分の頭では考えない(興味を持たないように律する)。原作者は「自分の心にさえ向き合わない」と言う。新聞記者となったカーディナルからの特ダネねらいもしっかりかわすところは執事の鏡。館の中ではそれで十分ではあったが、一歩街に出れば…。でも、主の仲間貴族からは、選挙を通して政治を託すものとしては見下げられ、街の住人からも…。それでも、”ダンケルク”の状況を知るなど、戦中に起こったこと、戦後に起こったことに心を揺れ動かし、心酔していた主が何をしてしまったのか理解し、己の在りかたに、己の価値観に疑問も生じてくるが…。そして、心のよりどころとしていたミス・ケントンの選択…。
妻を愛せなかったが執事としての手本である父は、スティーブンスをどう育てたのであろうか。”男女の愛”に疎いのは養育環境によるものであろうか。
執事すべてが同じようにするとは限らない。
駆け落ちをした前執事や結婚する者もいる。
ベンのように、使える主を選ぶ者もいる。
女中頭のミスケントンは、職務を忠実にこなし、全体を見渡して気を配りながらも、自分の意見を持ち、時にスティーブンスとやりあう。
それでも、人生はままならぬ。
スティーブンスが使えていたダーリントン卿。
フェアプレイ精神の持ち主で、相手も当然そうであろうと思い、行動する。戦争を回避するための方策が…。策を講じるために、ナチスの機嫌を損ねないように、ユダヤの少女を解雇するが、それが何を意味するのかはわかっていない。後で撤回しても時すでに遅し。交渉する相手の本性を見抜けない。館を訪れたナチス将校は卿の財産を値踏みしているのに…。
ダーリントン卿と共に、ナチスと手を結ぼうとする貴族。
スティーブンスに経済や政治の質問をし、自分たちが下々を導いていかなければと確信する。
ダーリントン卿の親友の息子・カーディナルは、新聞記者になっただけあって、状況は判っており、叔父とも慕うダーリントン卿を諫められない。
アメリカ人・ルイスは、そんな卿たちを「アマチュア」と称し、「政治はプロに任せろ」と言うが、会議のばでは賛同者はなく…。
そして、街の人々。
それぞれ、しっかり意見を持ち、パブで意見を交わし、戦争にも行き、痛手を被る。
もし、政治をアマチュアに任せておかず、しっかり、情勢を見極めて、意見を出し、動いていたら、戦争は回避できたのだろうか?
でも、ヒトラーの台頭を許したのも、ヒトラーの、”強いドイツ”、他民族を排斥して、ゲルマン民族の優勢を打ち出した演説に酔った人々。
肝要なフェアプレイ精神だけでもダメ。
職務に忠実で有能でも、自分の生きる方向を人にゆだねるだけでもダメ。
世の中を見通し、それを判別する知識を身に着け、行動力があっても、自分の大切なことに対して、素直になれなければダメ。
どう生きていくのか。改めて考えてしまった。
特に、今の日本の選挙で演説される政策が、ヒトラーに似てきている。
誰が”アマチュア政治家”か、”プロ政治家”か。
そして、自分にとって大切なことは何か。成し遂げたいことは何なのか。
★ ★ ★ ★
どなたもおっしゃっているが、役者がすごい。
ホプキンス氏。
年を重ねた冒頭では、猫背で、顎を突き出して顎の存在感を強調するシーンもある。父役のボーン氏と重なる。
少し口が半開き。職務は完璧だが、世事には関心がない、魯鈍さを表現したのか。原作者も「スティーブンは大衆的なことにしか興味がない」と言う。それを表現したのか。
そして台詞の無いシーン、感情的な台詞がないシーンでも、心の揺らぎが伝わってくる。
密談、特ダネ狙いのカーディナルの来訪と、ミス・ケントンの重大発表。重ならなければ、もう少し、うまく立ち回れたのではないかと言う動揺に心が痛い。
街でのダーリントン卿への反応、ダンケルクで犠牲となった息子の部屋に接して揺らぐ様。自分の意見を持つ者と、持たざる者。自分の立ち位置。価値観の揺らぎ。
トンプソンさん。
ホプキンス氏との年齢差22歳。それでも、二人が似合いのカップルに見えてきて、結ばれることを願ってしまう。と言って、トンプソンさんが老けて見えるのではない。行き遅れとあの時代なら言われてしまう年齢の落ち着きや焦り、もどかしさ。
戦前と戦後の佇まい。
フォックス氏。
人の良い貴族が、世の中に巻き込まれていく様。己の信念が悪用されていくその様に抗うことができない無念さ。自身への回顧。
リーブ氏。
あの会議へ参加する唯一のアメリカ人。監督は出自がルイスに似ていたから抜擢したと言っていたが、あの役に”スーパーマン”を持ってくるとは(笑)。
売りに出されたダーリントン卿の館の新しい主。爽やかさを振りまき、館に新しい風を運んでくる。スティーブンスの暗さとの対比。それでも、リーブ氏に感化されて、スティーブン氏の未来まで明るい風が吹きそうな余韻で映画が終わる。
こちらも戦前と戦後の佇まいの違い。老眼をかけたままにスティーブン氏を見る様(笑)。「トースターを買えばよい」使用人への思いやり溢れる言葉なれど、合理主義が果たしてダーリントン卿屋敷の使用人に通じるのか(笑)。
グラント氏。
戦前の貴族と戦後をつなぐ予感を見せてくれる役。真面目な青年なのに、どこか(笑)をとってしまうのは天性か。
★ ★ ★ ★
意匠。
館は本物を使っているだけあって、重厚で華やか。従業員の通路はああなっているのかとか、興味深い。
それを浮ついた絵ではなく、たっぷりと見せてくれる映像。
庭や借景している自然の美。
映画のテンポもゆったりと進む。貴族の時間を味わっている気になる。
今の映画に比べると、抑揚もなく進む。
日の名残りを愛でるのに相応しい落ち着いた映画。
皆に観て、考えて欲しい映画なれど、推薦するのは人を選ぶ。
職業意識が自身そのものになってしまう人間、時代の流れに同化して流されていることをわかりつつ抗わない。いつの世にもいる人間を静かに描写しているすごい映画だなと思いました。そこに美しさを感じてしまうのは、愚かで理不尽で恐ろしいことを繰り返す人間の歴史と社会のきれい上澄みだけを味わう私達の狡さなのか。素晴らしいレビューのおかげで色んなことを考えることができました。ありがとうございます

