劇場公開日 1976年8月28日

「映画の王様ヒッチコック監督の映画演出の模範を示したシニカルなジョークとユーモアのストーリーテリング」ヒッチコックのファミリー・プロット Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0映画の王様ヒッチコック監督の映画演出の模範を示したシニカルなジョークとユーモアのストーリーテリング

2022年3月2日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

最近の洋画を観ると刺激の強い表現が新しい感覚の様に取り上げられ、かつての構成力の高い映画の形体が単に古いだけの評価に止まるのには、どうしても納得できないでいる。勿論進化する映像の迫力を娯楽的な満足度で言えば、新しい映画に分があるのは明白であるのだが、映画演出の個性と技量の点では均等化しているのではないかと、危惧している。そんな意識でこの映画の王様(ヒッチコック監督の容姿や傑出した技量、そしてユーモアのセンスから個人的に尊称して)の53本目の新作を観ると、若い世代の人たちに映画の演出とはこうするのだよ、と教え諭すような老巨匠の技が見て取れる。流石に77歳の老齢ではパンチの効いたスリルやサスペンスを全盛期の様には創作できていないが、その代わりにヒッチコック監督だけの熟練された演出の味があり、1960年代後半の不振から復活した72年の「フレンジー」に並んで晩年の代表作に挙げられるであろう。

作品全体は、イギリス人ヒッチコックのシニカルなユーモアが支配している。それはバーバラ・ハリスが演じる主人公の偽の降霊術師ブランチの設定から、予想を裏切る二転三転の脚本のストーリーテリングにヒッチコック監督らしいユーモアがあって、大きな笑いは生まないもののくすくす笑える楽しみがある。登場人物は一癖も二癖もあるし、キャスティングは地味でも役者の演技は確りしていて不足はない。
ブランチの情夫のタクシードライバーのジョージが或る資産家の甥を探し出す依頼を受けるが、報酬1万ドルと聞いてやる気になり弁護士に化けて探偵に乗り出す。見つけ出したその甥は亡くなっていたと調査を進めると、実は宝石商を生業にして生きていたと知るが、これが表向きで実際は身代金誘拐の常習犯アダムソンという。そこから、この男が妻のフランと組んでブランチとジョージの二人を始末しようとして知人のガソリンスタンドの経営者マロニーに殺害を依頼するが、間抜けにも未遂に終わるどころかマロニーは自滅してしまう。といったお話が冗談と深刻さを併せ持った皮肉で展開していく。そしてブランチがアダムソンに遺産相続のことを打ち明けたときは誘拐事件の真っ最中というのが、皮肉が効いている。二組の男女が入り乱れての騙し合いと欲の皮を突っ張らせた人間の可笑しさ。それを楽しみながら演出しているヒッチコック監督の満足げな表情が、ラストの宝石を見つけてウインクするブランチに見て取れる。

演出で光るのが、マロニーにブランチとジョージが誘い出される郊外の喫茶店のシーン。ヒッチ監督は観客にマロニーが来たことを教えるが、待たされている二人が注視する喫茶店のドアからマロニーは現れない。ブレーキの細工を示唆するこの演出は、観客に予測させて主人公ふたりの身の危険を知りながら教えられないもどかしさを狙っている。それが、その後の坂の道を暴走する窮地のスリルを増幅させている。観客に何を見せるか、ショットをどう繋げてイマジネーションを刺激するかを知り尽くしたヒッチ監督の匠のモンタージュだ。ここに映画だけの模範的な表現が凝縮されている。

  1977年 3月13日  池袋文芸坐

結果的に、この作品がヒッチコック監督の遺作になってしまった。偶然かも知れないが、戦後アメリカ映画を支えた巨匠の代表者ヒッチコック監督が亡くなって、映画に対する見方も評価も変わってしまった。特に娯楽映画に関しては、1978年に公開された「スター・ウォーズ」のジョージ・ルーカスと「未知との遭遇」のスティーヴン・スピルバーグの活躍により、SF物やファンタジーに主力ジャンルが移行して今日まで来ている。その時代の大きな転換期が1980年頃になると思う。個人的にも、それまでクラシック映画からジャンルを問わず観てきた私も社会人となり、仕事、結婚、育児(と言って今のイクメンには遠く及ばないが)に追われて映画とは距離を置くことになる。だからここ40年の映画については、自信を持って論じることは出来ない。絶対数が少なすぎるからだが、唯一の拘りは、古い映画の良さなら語れるし、その美点を新しい映画にも見つけることが出来ることぐらいかも知れない。

Gustav