「かりそめの砂漠のオアシス」バグダッド・カフェ sankouさんの映画レビュー(感想・評価)
かりそめの砂漠のオアシス
作品としての繋がりはないのだが、アメリカの砂漠地帯の映像を観てヴィム・ヴェンダースの『パリ、テキサス』を思い出した。まるで記憶を失ったかのように無口で砂漠地帯を黙々と歩き続けるトラヴィスという男。彼にはある目的があるのだが、ほとんど自分のことを喋らないため観客には彼の真意が分からない。
この映画に登場するジャスミンというドイツからの旅行者も、トラヴィスほど無口ではないにせよ、やはり自身のことは喋らないため観客には彼女の目的が何なのか見えてこない。
冒頭、彼女は車の中で夫と喧嘩をし、そのまま荷物を持って飛び出してしまう。
そして彼女が辿り着いたのは砂漠の真ん中にあるバグダッドカフェというさびれたダイナー兼モーテル。
行く宛のない彼女はいつまでという期限も設けず宿泊を決める。
この映画の面白さはこのバグダッドカフェに集う様々な人間模様にある。
まずはジャスミンとは正反対に常にイライラし、不満をぶちまけ続ける女主人のブレンダ。
彼女の夫サルは買い物ひとつも満足に出来ない甲斐性なしで、ブレンダに罵られた挙げ句家を飛び出してしまう。
が、彼はこっそり車中で双眼鏡を手に彼女のことを見守り続けるのだ。
息子のサロモは注意されても店の中でピアノを弾き続ける頑固者で、母親の分からない赤ん坊の父親でもある。
娘のフィリスは店の手伝いもせず遊び歩いている。
その他に常に脱力系の店員カヘンガ、トレーラーハウスで絵を描いて生活しているコックス、モーテルの中で入れ墨師の仕事をしているデビー。
そして中盤からテントを張って住み着くエリックという若者。
ブレンダは最初からジャスミンに好意を抱いていないのだが、彼女の部屋の掃除中に見慣れない道具や男物の衣装を見つけたことから、彼女を危険人物と判断し保安官のアーニーを呼んでしまう。
しかしアーニーはジャスミンのパスポートなどに不審な点は見られないためにそのまま立ち去ってしまう。
一方、少しでも居心地良く生活したいジャスミンは、ブレンダに内緒で店の掃除をするのだが、それがブレンダの逆鱗に触れてしまう。
が、表向きにはつんけんした態度を取るジャスミンだが、実は心の中では感謝をしているのだろう。
フィリスと打ち解け、サロモのピアノを理解し、彼の赤ん坊をあやす彼女に対しても、初めは何様のつもりだと詰めよってしまうブレンダだが、少しずつ彼女への警戒心を解いていっているのが分かる。
ブレンダは一度気を許した人間には、皆家族同然のように接するのだ。
やがてカフェの店員としても働くようになったジャスミンは客前でマジックを披露する。
その腕前はプロ並で、ここで彼女の部屋にあった謎の道具や男物の衣装の意味が分かる。
彼女のマジックを見たさにあらゆる場所から客が集まり、バグダッドカフェは繁盛する。
そしてコックスは彼女をモデルに絵を描き始める。
最初はどこかおどおどして精彩に欠けていたジャスミンが、見違えるように輝いていく姿がとても印象的だった。
しかし夢のような日々は唐突に終わる。
カフェを訪れたアーニーが、ジャスミンのビザが切れていることを指摘したのだ。
元々はジャスミンを追い払うためにブレンダが呼んだアーニーによって、結果的にジャスミンがバグダッドカフェを離れなければならなくなるのが何とも皮肉だった。
ここは砂漠の中のかりそめのオアシスだった。
非現実的に思われる舞台設定だが、そこで描かれる日常はとてもリアルに感じられる。
個人的にはサルが拾ってきたポットがとてもカフェの生活感をうまく演出していると思った。
ローゼンハイムとロゴの入ったこのコーヒー入りのポットは、実はジャスミンの持ち物であり、彼女の夫が車の中から捨てたのだ。
カフェのコーヒーマシンは壊れているため、ジャスミンを連れ戻しに現れた夫にサルはこのポットのコーヒーを差し出す。
夫は満足そうにそのコーヒーを飲むが、コックスはとんでもなくまずいコーヒーだと吐き捨てる。
ジャスミンも店のコーヒーをただの茶色い水と酷評したように、彼女と夫はかなり濃いコーヒーを好んでいたのだ。
新しいコーヒーマシンが来ても、カヘンガがポットでコーヒーを淹れようとしているシーンが印象的だった。
カフェの側にある給水塔、エリックが投げるブーメラン、コックスのトレーラーハウスと、画になるモチーフも多かった。
バグダッドカフェから消えたジャスミンだが、ある人唐突に彼女は戻ってくる。
また夢のような日々が戻ってくるかと思ったが、今度はデビーがカフェを出ていく。
あまりにも仲良くなりすぎたと口にして。
クライマックスはミュージカル仕立てのマジックショーという型破りな展開なのも面白かった。
そしていつまでもジャスミンがカフェで働けるように、コックスが彼女にプロポーズをするシーンで映画は終わる。
彼女の答えが気になるが、この流れから彼女が断ることはないだろう。
ジャスミン役のマリアンネ・ゼーゲブレヒトの個性的な風貌もあって、一度観たら忘れられない名作だ。