「ソ連支配下のポーランドで英雄に祭り上げられた男を追跡した、ワイダ監督の力作」大理石の男 Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
ソ連支配下のポーランドで英雄に祭り上げられた男を追跡した、ワイダ監督の力作
ポーランドのアンジェイ・ワイダ監督がタブーである1950年代の社会状況の実態を模索する現代劇という事で大変注目される作品である。スターリンの独裁政治が行われていたソ連の支配下にあった戦後ポーランドの実状は、遥か離れて平和に暮らす日本人が想像できるものでも無いし、理解できないのではないかと思った。しかし、情報操作された社会構造と人の関係性の点で、とても分かり易く表現されていて、映画文体は固いものの説得力のあるストーリーになっていた。初めて本格的に観たワイダ作品で、共産主義国家の怖さを思い知ることになる。
この映画の話術は、オーソン・ウェルズの「市民ケーン」と同じく、探り出されるある人物とは全く無関係の人間が、その人物の妻や交友関係者に会って、過去の出来事について聞き出し、その全容を再構築するというものである。その人物とは、単なる煉瓦積みの一労働者でありながら、国家の意図的な情報操作によって煉瓦積みの新記録者に仕立て上げられ、忽ちマスコミで労働英雄として祭り上げられる。しかも、熱が冷めると同時に不必要とされ、闇に葬り去られてしまうマテウス・ビルクート。捜索者は、映画大学に通う女子学生アグネシカ。彼女は卒業制作の題材にビルクートを選んだ時点で学校側から取材禁止を命じられたにも関わらず、男勝りな性格と堂々とした態度で突き進み取材と撮影を進めていく。50年代の不都合な歴史や記録を隠そうとする70年代に、真実だけを求めて信念を捨てず自己主張を貫き通す現代の英雄である。ワイダ監督が、この女子学生に自分の青春時代の不満を転化させ、そして投影したように感じた。
映画は、この題材にして2時間30分以上の時間をかけているが、少しも飽きさせず最後まで引っ張っていく演出は素晴らしい。サスペンスタッチを施したワイダの話術に乗せられてしまった。そして、肝心のビルクート本人に辿り着けないもどかしさ。ここで流石のアグネシカも挫折感に苛まれるが、父親の助言によって再び奮い立つ。この真実追求を支持する父親は、監督自身の代弁者であろう。それは、この映画を通してポーランド人に語り掛けるワイダ監督のメッセージになっている。(これからは君たち自身の力で真実を探り出すべきである)と。
深い造形美とは無縁でも、ドキュメンタリー映画のような生々しさが特徴の戦後ポーランドの内情を暴露したワイダ監督の力作と言っていい。ビルクートが活躍する当時のニュース映像が、作り手のいいように操作され国民を欺き、如何にして社会主義国家の維持を図るかが分かる。英雄も国民も、どちらも犠牲者である。
1980年 9月8日 岩波ホール