「ネイティブアメリカンは勧善懲悪の相手?」捜索者 KENZO一級建築士事務所さんの映画レビュー(感想・評価)
ネイティブアメリカンは勧善懲悪の相手?
見事な映像美の作品だ。
そして、従来のフォード映画にはない雰囲気の作品として後に評価されたとのことだが、
しかし、果たして過去のフォードイズムから
脱却は出来ていただろうか。
もちろん、フォードイズムを体現する
ジョン・ウェインの、
この映画での残虐性と孤独感は
従来には無いタッチだ。
しかし、伝統的にフォード映画で
描き続けられるネイティブアメリカンの描写
は相変わらずだ。
西部劇はある意味、文明の衝突だろうから、
双方に残虐性はあったろうが、
この映画では、開拓者側の残虐性を
ウェイン一人にその性質を背負わせて
その他の開拓者は皆善人のような描写、
それに対して
総体としての残虐性を示唆するのは
ネイティブアメリカン側だ。
また、知性の優劣を匂わす映像手法は、
変わらずこの作品でも一方的だ。
川の反対側に逃げたジョン・ウェイン一行
に、撃って下さいと言わんばかりに
襲い掛かったり、
まるで自由に攻めて下さいと言わんばかりの
コマンチ族の無警戒キャンプ設定等、
まるでネイティブアメリカンは知的に劣る
人種のように描くフォード映画の慣例は
変わらないままだ。
また、ウェインとハンターが
コマンチ族に岩場に追い込まれた後、
どうして追撃を受けずに、
無事結婚式場に現れることが出来たのか等、
いくつかの不自然で説明不足な
御都合主義的ストーリー展開も
気になるところだ。
フォード監督が
少しはネイティブアメリカンの苦難を
描くことが出来たのが「シャイアン」
だったろうが、
基本的に彼は、ネイティブアメリカンを
勧善懲悪の相手として描き続けた映画人生
だったのだろうとは思った。
KENZO一級建築士事務所さん、いつも「♥共感」有り難うございます。
確かにこの映画でネイティブアメリカンの残虐性を旧態依然の価値観で扱っていることに、作品の評価如何に関わらず問題があることは明確です。マカロニウエスタンが商業的に成功するまでのアメリカ西部劇の勧善懲悪と変わりません。特にイーサンという男は偏見と復讐心の塊で、ジョン・ウェインではなく他の男優が演じていたならば映画の主役にはなれない人物です。この映画で言いたいことは、復讐を遂げた人間の孤独なのではないかと思います。ラストシーンは、どこに行くのか分からない主人公の後ろ姿で終わり、次の居場所を探して流離うことを暗示しています。つまり、人種間の争いを題材にしながら、闘う男の虚しさが見事に描かれているのではないでしょうか。誘拐された少女を何年もかけて救い出す執念に絞れば、彼のような男が世の中に必要ではないかという点において、何とか西部劇のヒーローたり得ています。
監督のジョン・フォードについてはタカ派で有名ですが、赤狩りの時は巨匠セシル・B・デミルと衝突するなど視野の広い価値観を持つ人道主義者でした。ネイティブアメリカンを援助するために映画制作をしていたこともあったと言われています。私的には、「アパッチ砦」でみせた”英雄とは何か”の冷静で寛容な俯瞰の視点を、この作品にも感じます。
因みにジョン・フォード監督を敬愛していた、私が最も畏敬する映画評論家のひとりの淀川長治氏の、この映画を絶賛した文章は見聞きしたことはありません。人それぞれの観方があって更に楽しめる映画って、いいですよね。