西部の男のレビュー・感想・評価
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西部の推し活
1880年代のテキサス、在来の牧場主たちと新たな入植者たちの間で土地争いが絶えない。牧場主側の悪徳判事ロイ・ビーン(ウォルター・ブレナン)は悪法を盾に横暴の限りを尽くしてている。流れ者のコールが仲介し、対話による平和的解決が実現したかに見えたが、そう簡単にはいかない。
まさに今も世界で同じことが起こっている事実に驚くばかりである。
コール役のゲイリー・クーパーは相変わらずカッコいいが、今回はブレナンのサポートサイドに回っている。前半の二人の飲み比べとリリーをめぐる掛け合いが最高!
ブレナンの存在感は圧倒的で、人間味溢れる名演が役柄の非道さを凌駕してしまうほどである。
【古典ですね、今の映画とは大違い、いい意味でも悪い意味でも】
※評価出来ません、古典とは難しい
参りました....確かに判事役は怪演です、確かに憎めないところが無いこともないですが...でもあんまりですよねこの判事、まぁここらへんが昔の映画の不思議なところ。
古い邦画も今の善悪の尺度や感覚では理解できないところが沢山あります。
乗馬や髪の毛を切るシーン、様々なキチンとしたショットも感心しましたが若かりしゲーリークーパーがビックリする良い男です(背が高すぎて馬が小さく見えちゃう、脚が長くてスラっとしてモデルみたいです)、判事が映えるのも実はクーパーの颯爽さがあってのものでしょう。
西部劇をそれなりに観てきたつもりでしたがフト思うと名高い名作とジョンフォードの作品が多くてよく解っちゃいないんだなぁと反省、してもしなくても良いんですが、独りしてしまいました。
判事は実在の人だそうで当時のアメリカ人の中で有名だったんだろうなぁと、ある意味で大河ドラマみたいな感じで歴史を踏まえながら当時の観客は観たんだろう、だから100年はたってないけど大昔の映画をどうこう言ってはいけないのだろう、源氏物語じゃないけど別な今とは別なモラルがあったんでしょうね。
※ジョンフォードの作品と比べると素直な娯楽作品でした、フォードの映画はもっと文学的ですよね
脚本・構成の問題はあるが、ゴールドウィンとワイラーが組んだ品格のある西部劇にブレナンの名演とトーランドの映像美
南北戦争終結から十数年経ったテキサスのビネガルーンという町を舞台に、強権を振るう自称判事ロイ・ビーンと流れ者コール・ハーデンの奇妙な関係から男の対決に至る葛藤を描いた西部劇。テキサスはメキシコから無理やり奪い取ったような土地で、アメリカ政府は入植を推進していたが、治安に関しては殆んど現地任せであったようだ。牛の放牧を主とする牛追いたちが自分たちの都合のいいように法を解釈し、新しく土地を開墾する農民たちを妨害して争いが絶えなかった。そんな敵対する間に入り、お互いの立場を尊重するよう説得するコールをゲイリー・クーパーが正義感ある個性で演じている。それに対して、南北戦争で共に戦った軍刀を己の分身とするロイ・ビーンが、イギリスの美人女優リリー・ラングトリーに少年のように憧れ夢中になる男の純情を持ちながら、時に残忍で非情な姿を見せるのを、名脇役ウォルター・ブレナンが味わい深い見事な演技で応えている。主人公より相手役の複雑なキャラクター表現が優れた脚本と演技の作品になってしまった。結果論として、これが互角の個性のぶつかり合いがあったら、この作品は名作として後世にもっと語られたと思う。しかし、この不満以外はとても楽しめた作品だった。
まず注目すべきは、クレジットタイトルの最後の表記が監督のウイリアム・ワイラーではなく、制作者のサミュエル・ゴールドウィンであること。ゴールドウィンはデヴィット・O・セルズニックやダリル・F・ザナックと並ぶ当時の大プロデューサーで、淀川長治氏が最も敬愛した映画人。1930年代にはウィリアム・ワイラーと組んだ「嵐が丘」など多くの名作と、ジョン・フォードとは大作「ハリケーン」を制作している。このゴールドウィンの品の良い映画作りの一端が垣間見えたことが嬉しかった。と共に西部劇「砂漠の生霊」を出世作として名を成したワイラー監督の数少ない西部劇で今日鑑賞できるのが「大いなる西部」くらいな為、個人的には貴重な鑑賞になった。サイレント時代には約100本の西部劇を早撮りしていたと淀川長治氏の本に紹介されている。「ローマの休日」が別格で映画史に記録される監督だが、元々は西部劇監督で後に舞台劇やスペクタクルもの、そしてサスペンスものまで得意にした多才な名監督であり、その演出の品格の良さが他の監督には求められないものであった。コールが恋心を抱くジェーン・マシューズとの場面を観るとそれが解る。開拓民が住む峠の我が家をイメージする場面の何とも優しさに溢れた演出タッチがいい。また彼女の髪の毛をどうにか手に入れたいコールと、好きな男性から求められて満更でもなく、といって気安く見られたくもない微妙な女性心理を奇麗に描写している。隣の住人ウェイドという青年との恋の三角関係を最後まで描き切れていない不満はあるが、恋愛が絡んだ娯楽西部劇の作りとしては魅力ある作品である。
それは、撮影の名手グレッグ・トーランドが実力を充分に発揮した映像美が素晴らしいからだ。この時のキャリアは「嵐が丘」「怒りの葡萄」があり、この後「果てなき航路」「市民ケーン」「教授と美女」と続く。ロイ・ビーンが二日酔いの朝、前の晩に酒をジョッキで飲み合った記憶を蘇らせてリリーの髪を想い出し、コールを追い掛けるシーン。特にビーンが馬で疾走するショットの美しさとカッコよさは絵画のようで完璧。移動撮影の、雲が薄くたなびく空を背景にした人物と馬を、逆光のシルエットに近いコントラストにした絶妙さ。この場面だけ観ても、コールよりロイ・ビーンが主役の様な扱いなのが興味深い。ジェーンの髪を貰ったコールが馬に乗って別れるショットもいい。夕闇迫る山々を遠くに、去るコールと見送るジェーン。農民たちの豊作を祝う感謝祭のシーンもまた美しい。トウモロコシ畑を前に神に感謝し跪く農民たちを背後から捉え、画面の半分を空でフレーミングしたショットの神聖さ。ワイラーとトーランドの演出・撮影の融合によって、映像の雄弁さが自然に表現されている。そして、農場が焼き討ちにあい激しく燃え盛るシーンの迫力。映像の美しさとスペクタクルの両面が楽しめる。
それでも、この映画の一番の魅力は、ウォルター・ブレナンの名演であることは誰もが認めるものであろう。アカデミー賞の三度目の助演男優賞受賞に納得の演技であり、ともすると主演賞でもおかしくないのではないかとさえ思わせる。「北西の道」「群衆」「ヨーク軍曹」「打撃王」「死刑執行人もまた死す」「荒野の決闘」「赤い河」「リオ・ブラボー」「西部開拓史」「オスカー」と観てきたが、ブレナン最高の演技であろう。冷静に判断すれば、一方的な裁判で極刑を執行する独断専行の悪人で軽蔑すべきロイ・ビーンを、最後は憎み切れない好人物に見せてしまう愛嬌と人間性を表現している。これは役柄自体の良さもあるが、映画としてもこのロイ・ビーンのブレナンを主役にした作りで良かったのではないかと思わせるくらいだ。がしかし、ここにゴールドウィンとワイラーが制作した意味があり、正義感のあるコール・ハーデンを誠実な俳優ゲイリー・クーパーが演じることに価値があるのであって、それを娯楽西部劇映画として提供する映画人の良心に迷いが無いところがいいのである。
次はヒューストン監督の「ロイ・ビーン」を!
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