「荒唐無稽の中にも確かな現実感」スクリーマーズ モアイさんの映画レビュー(感想・評価)
荒唐無稽の中にも確かな現実感
ハリソン・フォードの『ブレードランナー』(82年)、シュワちゃんの『トータル・リコール』(90年)、トム・クルーズの『マイノリティ・リポート』(02年)等々、フィリップ・K・ディック原作の映画化作品にはSF映画の名作が多いです。そしてこの『スクリーマーズ』(96年)もディック原作の映画化作品です。
今作の主演は『ロボコップ』(87年)や『裸のランチ』(91年)のピーター・ウェラーです。上記の作品群の主演の人たちと比べると少々地味かなって印象で、作品の存在感もやはり地味です。が、この作品も間違いなくディック原作映画のエッセンスを内包しています。
私たちが現実だと認識している世界。しかし私たちは何を根拠にそれを「現実」だと認識しているのだろうか?もしかしたら誰かにこれが現実だと作為的に思い込まされているだけかもしれない。そもそも「私」とは一体何のなのか?何をもって私は「私」という存在を認識しているのだろうか?というような考えだしたらドロ沼にハマる考えを教えてくれるのがディック原作の映画です。正直そんな事教えて欲しくなかったのですが、物心ついた時には無防備な心にこのディックイズムを植え付けられてしまっていましたので、気付けば見たものを見たままに受け入れる素直な心は失われ、すっかり疑り深い性格となってしまいました。(そのくせ単純で物事を深く考えませんが…)
物語の舞台になる惑星シリウスでは代替エネルギー源であるベリニウム鉱石というものが採鉱できるのですが、採鉱時に致死量の放射線が発生することが発覚しました。
そのため労働者や科学者の「連合」は即時採鉱中止を訴え、採鉱事業の権利を有する新経済統合社「NEB」は労働者たちに採鉱を続けることを強要しようとし、この2勢力間で掘る・掘らないをめぐっての戦争が起こります。そして開戦から10年目―。という世界でのお話です。
一応ことの経緯はスター・ウォーズのように映画冒頭に字幕が流れて説明されるのですが、
この映画ちょっと状況説明や人物描写が控えめで、お話の流れが分かりづらいです。主人公は「連合」の兵士で、物語が進むうちに敵対勢力「NEB」の兵士たちとも行動を共にするようになりますが、彼らの関係性や現状、言動が理解しづらく、唐突で強引な印象になる箇所もチラホラ目につき、改めて観ると脚本がちょっと雑な感じがします。ですがディック原作映画らしい「何を信用すればいいのか?」「誰を信頼すればいいのか?」というような要素を基本としてハラハラ・ワクワクさせてくれるSFサスペンススリラーに仕上がっております。
映画のタイトルにもなっている「スクリーマー」は「連合」が5年前に戦争に投入した殺戮防衛兵器です。
その非人道性には「連合」側の兵士も目を背ける程ですが、厄介なことにこの「スクリーマー」の基本的な行動原理が「生命体を抹殺する」であるため、攻撃対象には「連合」側の人間も含まれているのです。そのため「連合」の兵士たちは「タブ」と呼ばれる装置を手首に着けて「スクリーマー」に自分は攻撃対象ではないと認識させています。と云う、とんでもない危険な代物なのですが、更に最悪なのがこの「スクリーマー」は最初に「連合」の開発班が送ってきて地下に設置したきり、後は自動で勝手に活動しているため、実際の戦場にいる「連合」の兵士たちは「スクリーマー」の操作も制御もできていないうえ、「スクリーマー」が地下で何をしているのか観測することもできていません!
回収してきた「スクリーマー」の残骸を調べて、「スクリーマー」が自分で自分を大量生産し、改良を重ねてより高度な機能を有するようになってきているという事が漠然と分かっているだけです。
また物語の舞台である惑星シリウスは放射能に汚染されていますが、主人公たちは特に防護服なども着ないで外を歩きます。赤いタバコを吸うことで中和されるとのことなのですが、何故、それで中和されるのかは誰も知りません。しかし実際それで死なないから効果あるんだろう程度の認識です。
これらは想像上のお話ではあるのですが、この「なぜそうなるかは知らないが、そうなるから使う」って本当に身近な事に感じるのです。
スマートフォンやパソコン、インターネットや5G等々、文明の利器の多くの原理を私はまったく理解していません!基本的に新しいものに懐疑的なくせに、気づけばよく理解しないうちに時代に流されるままそれらを手にし、何となく使い続けています。
さらに、『腸内環境を整えると精神的にも健康になれるよ!』っと聞きかじった知識を妄信し、毎晩納豆を食べ(ヤクルトは高価なので)ピルクルを飲み、それで何となく『今日も調子いいわ!』となっているような、ものすっごい浅いSFファンです。
なのでよくわからない事への不安はあるものの結局それを使っているという状況にすごく共感してしまうのです。
また、この映画で戦争している「連合」と「NEB」の2勢力の司令本部は共に地球にあります。そしてその地球では実際の戦闘行為は行われておらず冷戦状態であり、実際の凄惨な戦闘は惑星シリウスでのみで行われています。
和平協定のために惑星シリウスの「NEB」司令部を目指す主人公が道中、「NEB」の核攻撃で廃墟と化した街を訪れます。かつてそこに住んでいた民間人に思いを馳せ、主人公は「彼らは我々が出した犠牲者だ」と言います。惑星シリウスに来たばかりの若い兵士はその言葉の意味がよく分かりません。「核兵器を使ったのは「NEB」でしょ?」という具合ですが、主人公は若い兵士を諭します。「お前は自分が正義だと誰かに吹き込まれて戦場へ送られてきたんだろう?」と。
戦争を主導し、その大義を戦う兵士に吹き込むのは安全圏にいる司令本部なのです。何か大きな脅威に対抗するために大多数の意思統一を図る目的で大義が必要なこともあるとは思います。しかしそれは誰かの私利私欲を昇華させるために容易に悪用できてしまう危険性があり、その犠牲は結局そんな大義に賛同していないどころか、知りもしないような人々をも巻き込んでしまうものです。
昨今の世界で起こっている(もしかしたら有史以前からずっと続いている)戦争や紛争、またはそれらへ発展しそうな国家間の衝突を見るに、この映画で描かれる世界の状況はただの作り話として済ませられない生々しさを感じさせます。
また映画には今から見ればディープフェイクを思わせるホログラム通信の描写や、VRゴーグルでポルノ鑑賞というシーンが出てきます。
そういう風に一見荒唐無稽なお話の中に現実社会に対する警鐘を鳴らしたり、未来予想をしてみせるSFというジャンルが、私は大好きなのです。
最後に、この映画の特殊効果は模型などによる従来型特撮が6、CGが4ぐらいの割合です。
CGの出来は今見ると、ツルツルの質感で描写される物体がプレステ1の頃のゲームを想起させ、パッキパキに浮いたデジタル合成が初期の平成仮面ライダーシリーズを思い出させてなかなかキツいのですが、その一方でなんだか味が出てきたように感じます。
特殊効果技術って時代が流れるにつれて、すごい!→ショボい!→味がある…。という印象に変わっていくと思うのですが、着ぐるみや模型に味を感じても、CGに味を感じることはないだろうと思っていただけに自分自身ちょっと意外な驚きでした。
まぁ世に出てから一貫して『すごい!』の印象が変わらない初代「ゴジラ」や「大魔神」、「ターミネーター2」の様な作品もありますが、これから過去作を見るときの楽しみが一つ増えたような気がしますので、そういう当時の特殊効果を今どう感じるかを確かめるのにもお勧めの1本です。(脚本は少し雑ですが…)
おはようございます。
拙作に共感ありがとうございます。
このレビューも力作ですね。
この映画は題名を聞いたことはありますが、難しい内容ですね。
シリウスという惑星は時々聞きますが、SF小説を殆ど読みませんので、
「デューン砂の惑星」でも、かなり苦労しています。
一気に3作品をレビューされて・・・。
また日を改めまして読ませて頂きます。
連休最終日、ドライブ旅行に行ってきます。