「3人に勝てるわけないだろ!! 監督途中交代の余波か、何だか締まりがないガッカリ続編…😮💨」スーパーマンII 冒険篇 たなかなかなかさんの映画レビュー(感想・評価)
3人に勝てるわけないだろ!! 監督途中交代の余波か、何だか締まりがないガッカリ続編…😮💨
鋼の肉体を持つ男“スーパーマン“の活躍を描いたスーパーヒーロー映画『スーパーマン』シリーズの第2作。
叛逆罪により惑星クリプトンから追放されたゾッド将軍とその2人の部下が、長い封印から解き放たれ地球へと降り立った。人類を遥かに凌ぐスーパーパワーを持つ彼らに対抗出来るのは、スーパーマンただ1人なのだが…。
前作から3年。ついに我らが“マン・オブ・スティール“が帰ってきた!
とはいえ、実は撮影自体は『Ⅰ』と並行して行われていた。これは当初から『スーパーマン』を『007』の様な長大なシリーズにしようという思惑があった為である。
当然長編映画2本撮りは容易な事ではないが、大スターであるマーロン・ブランドとジーン・ハックマンを起用している以上、そのスケジュールとギャラの調整にはこちらの方が都合が良いと考えられたのだろう。また、プロデューサーのサルキンド親子とピエール・スペングラーが『スーパーマン』以前に手掛けていた『三銃士』(1973)とその続編『四銃士』(1974)も同じ方式で撮影されており、その成功体験に肖ったとも考えられる。
何はともあれ、リチャード・ドナー監督の下、2本の『スーパーマン』が制作されていたのだが、そう計画通りいかないのが映画撮影というもの。予算オーバーの上、全然完成する気配がない!
こうなっては2本同時制作なんて悠長な事は言ってられない。『Ⅱ』の撮影は一旦置いといて、まずは『Ⅰ』を完成させる。後の事は『Ⅰ』の興行成績を受けて考えようじゃあないか、とこういう流れになった訳です。
こうして、撮影の75%は終了していたという『Ⅱ』ですが、ここでその制作は塩漬けになってしまいました。
因みに、『Ⅰ』のクライマックスである時間逆行というトンデモ展開、あれ実は元々『Ⅱ』のクライマックスで、ゾッド将軍によって滅茶苦茶に破壊された世界を元に戻す為に行う予定だった。『Ⅱ』制作の先行きが不透明になった為、その中にあった使えそうなアイデアを『Ⅰ』につぎ込んだんですね。
そんな訳で、いざ『Ⅱ』の制作が再開された時には元の脚本をリライトする必要が生じてしまった。なので、単純に前の素材をそのまま使う事が出来ず、大幅な再撮影を強いられる事になったのです。うーん二度手間。
面白くないのは急遽『Ⅱ』の撮影をストップさせられたドナー監督。これが原因でプロデューサー陣との仲が険悪になり、まともに口も聞かない間柄になってしまう。
『Ⅱ』の制作再開が決定された時、ドナーへ監督復帰の依頼はあった様なのだが、最終編集権を要求するドナーとそれを手放したくないプロデューサーとの間で一悶着があり、結局彼は監督をクビに。後任として『三銃士』『四銃士』のリチャード・ドナーが配された。
ドナー監督の辞任はその他のスタッフにも波及する。
ドナーと親交のあった脚本家のトム・マンキーウィッツは「彼が辞めるなら俺も辞める」と『Ⅱ』の制作から抜け、劇伴を担当したジョン・ウィリアムズも試写の映像を見るなり「ワシもちょっと…」と参加を辞退してしまった。
更にレックス・ルーサーを演じたジーン・ハックマンは再撮影への参加を拒否。ルーサーの登場シーンはドナー監督の撮っていた素材とそっくりさんの起用、極端なロングショットや不自然なバックショットなどの涙ぐましい努力によってなんとか乗り切る。
なお、マーロン・ブランドも引き続き『Ⅱ』に出演する予定だったが、ギャラで大揉め。ドナー監督は彼の出演シーンを撮影し終わっていたが、結局それは全カットされてしまうのだった。
と、そんなこんなで制作環境がゴタついた本作。そのゴタゴタ感が影響しているのかどうかは分からないが、あのセンス・オブ・ワンダーな輝きはすっかり鳴りを潜めてしまった。
前作にあった大河的なストーリーは失われ、あるのはゾッド将軍とのバトルのみ。そこに至るまでのドラマ性は欠けているし、引き伸ばしとしか思えないダラダラとした段取りは映画を退屈なものにしてしまっている。
ロイス・レーンとの愛を取るのか、それともスーパーマンとしての責務を取るのか、という葛藤こそが本作最大の見せ場でありテーマだった筈。その精神的な苦悩が一切伝わって来ないというのは痛い。
また、一度失えば二度と取り戻す事が出来ないというスーパーパワーを、いとも簡単に復活させてしまった点は理解に苦しむ。こんなご都合主義では子供も騙せない。
スーパーマンの超能力も滅茶苦茶増えており、もはや出来ないことの方が少ない。光線や分身はまだしも、記憶喪失キッスはやり過ぎじゃない?あのSマークのセロハン攻撃に至っては何がしたいのかすらよく分からなかったし…。
ゾッド将軍が川の上を歩くシーンからわかる通り、本作のクリプトン人は全知全能な神なる者として描かれている。それはわかるのだが、だからって何でもありというのは違うんじゃないですかね。もう少し納得のいく説明をお願いします。
前作は確かにバトルシーンのない地味な映画だったが、その分スーパーマンの人助けシーンをたっぷり描くことで彼の本質に迫っていた。幼稚なスーパーヒーロー映画とは一線を画す骨太なドラマがしっかりと描き込まれていたのである。
しかしこの『Ⅱ』はゾッド軍団との派手なバトルという大見せ場にかまけるあまり、ストーリーはペラペラに、ドラマは形式だけの空虚なものになってしまっている。これでは、前作の良さを殺した典型的なガッカリ続編だと言わざるを得ないだろう。
ただ、ロイス・レーンとクラーク・ケントのロマンスは相変わらず良いっ!
今回特に気に入ったのはロイスの描き方。健康に気を遣いフレッシュなオレンジジュースをガブガブ飲んでいるにも拘らず、タバコはスパスパ。仕事に命を賭けるキャリアウーマンで、何者にも負けない気性を持ち、屈強な男にも臆する事なく立ち向かう。そして勝気な一方で、恋する乙女の可愛らしさも併せ持つ。
ここまでヒロインらしくない女性キャラクターは、価値観のアップデートが進む今日でもそうはお目にかかれない。記者にしてはちょっと短絡的すぎる気もするが、そこも込みで本当に愛すべき存在なのです✨
このパワフルなロイスとヘナチョコなクラークの、絶妙なバランスのラブコメこそが『スーパーマン』シリーズの本質なのかも知れない。記憶喪失キッスには納得していないが、あのシーンの楽しさと寂しさのバランスは見事。道化を装うクラークの哀愁がもう堪りません😭
ゾッドとのバトルとか要らんから、ロイスとクラークとスーパーマンの奇妙な三角関係(?)にもっと焦点を当てて欲しかった。
制作環境が荒れに荒れていただけに、リチャード・レスター監督も今回は大層やりづらかった事だろう。映画の出来には文句を付けたくなるが、まぁ今回は仕方ない。この状況で映画をきっちり完成させて、しかもちゃんとヒットさせているんだから、レスター監督の手腕は大したものである。
レスター監督は次作『スーパーマンIII/電子の要塞』にも続投。次は100%レスター監督作品の様なので、過去シリーズ作との違い等を含めてじっくりと鑑賞したい。
余談だが、劇場公開から25年後の2006年、リチャード・ドナー本人が監修を務める『リチャード・ドナーCUT版』が公開された。
この流れ、なんか最近でもあった様な…。あっ、『ジャスティス・リーグ:ザック・スナイダーカット』(2021)…。DCっていっつもこんな事ばっかりやってんのね。
※ジェームズ・ガン版『スーパーマン』の予習として始めた『スーパーマン』マラソンだが、まさかジーン・ハックマンの追悼企画になってしまうとは…😢
R.I.P.レックス・ルーサー。