「半世紀ぶりの鑑賞 記憶してたのより ずっといい映画でした」ジョニーは戦場へ行った Freddie3vさんの映画レビュー(感想・評価)
半世紀ぶりの鑑賞 記憶してたのより ずっといい映画でした
実はこの映画、大学一年生のときの学祭で講義室のにわか仕立てのスクリーン上で観ました。日本で劇場公開されてから数年後の、サイゴンが陥落してベトナム戦争が終結した年でした。どういう経緯で誰といっしょに観たか、まったく憶えていません。観た経緯などまったく憶えてなくても、これを確かに観たという記憶はずっと残っています。顔面に白いカバーをかけられてベッドに横たわる主人公。主人公には四肢がなく…… モノクロで見たこのイメージはかなり強烈でトラウマになるほどでした。
この鑑賞間隔が50年というのは私にとって最長の間隔になります。高校生から大学生ぐらいの時期に観た主な映画はほぼこれまでの人生で再鑑賞していますので、よほど長生きでもしない限り、この50年というのが生涯最長記録であり続けると思います。それもこれも1回目が劇場やTVで自ら進んで観たわけでなく、学祭の催し物で上映されていたものをたまたま観たことから始まっているからで、映画に対してもやはり縁みたいなものがあるのだなあと感慨にふけりたくなります。
さて、50年ぶりに観てみるとやはり記憶と違ってるなあという箇所がいろいろと出てきます。
まず、主人公の名前。題名からジョニーだと思い込んでいましたが、ジョーでした。原題の “Johnny Got His Gun” は第一次世界大戦時のアメリカの新兵募集のキャッチコピーだった “Johnny, get your gun” から、来ているようです。ジョーは第一次世界大戦の欧州戦線で現在の残酷な状況になります。銃を取った何千何万の「ジョニー」のなかにはこういった過酷な運命に晒された者もいたということです。
また、モノクロで流れるジョーがベッドに横たわっているシーンのイメージが強烈過ぎたせいかもしれませんが、私の記憶の中ではこの映画は全篇モノクロのはずでした。でも、実際は現在進行中のジョーの病室のシーンはモノクロで描かれますが、彼の回想というか夢というか幻想というか、ベッド上の彼の脳裏に浮かんだ様々なイメージはカラーで語られます。
実は今回の再鑑賞で私の印象に残ったのはこのカラーで描かれた回想パートでした。恋人のカリーンと過ごした一夜とか、出征の見送りに来たカリーンとの結局これで最後となる会話とか、釣り好きだった父親との思い出とか、一つ一つのエピソードの描き方はけっこうステレオタイプ的で演出も少し緩いのかなという気もするのですが、これが病室のベッド上のジョーのモノクロのパートの合間に挟まれてカラーで登場すると、モノクロパートとカラーパートのコントラストで胸が締めつけられるような感じがしました。
最初に観たときには、状況に関するアイデア(主人公が戦争によってかなり酷い状態にある)だけが取り柄のゲテモノ趣味に縁取られた映画みたいな印象だったのですが、今回の鑑賞では作劇術の見事さに舌を巻きました。子供だった頃のジョーに対して、父親が「民主主義」という言葉を口にするシーンがあるのですが、このあたりには、この映画の原作小説を書き、この映画の脚本も書き、監督までしたダルトン•トランボが皮肉を込めて言わせていると感じました。トランボは特に脚本家としての評価が高く(代表作は『ローマの休日』)、自身が監督をしたのは本作のみですが、この作品からはトランボ脚本のさすがの巧みさとこれは自身で監督すべき作品だとしたトランボの決意も伝わってくるようでした。
何はともあれ、50年前の私は身近な人の死など まったく経験したことがなく「死」について考えたこともない人間でした。それから50年もたちますと親やら親戚やら恩師やら友人やら同僚やら、様々な人たちの死を経験してきました。まだ「死生観」などという言葉を口に出せるほどの人生修行は積んでおりませんが、やはり本作の主人公ジョーの状況については、「生」とは? 「死」とは? 人間としての尊厳とは? とかの哲学的な課題が浮かんできます。はたち前の若造だった50年前の自分の感想とは違うーーそこに50年の歳月の重みを感じます。
でも、私個人が歳月の重みを感じていても(ただトシをとっただけだろと言われそうですが)、広く世界を見渡すと戦争、紛争の起きている場所こそ違え、50年前も今も戦火が上がっている地域があります。世界の平和を願わずにはいられません。
半世紀ぶりにこの作品を観てこうやってレビューを綴ってみてもいろいろと考えることが多く、感慨深い時間を過ごすことができました。この巡り合わせをくださった映画の神様に感謝です。