自由を我等にのレビュー・感想・評価
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観たかった度◎鑑賞後の満足度◎ 約90年前の映画とは思えぬ先進性、斬新さ、完成度、いまだに色褪せぬ社会風刺とフランスらしいエスプリ。 映画を我等に!
①サイレント映画の手法がふんだんに使われ、またミュージカルかと思えばスプラスティック・コメディ、かと思えば機械化やお金に振り回される社会・人間についての風刺劇の面もあり、上流社会への皮肉もあれば失恋あり不倫あり成就する恋もあり、犯罪ドラマのスパイスも振りかけ、よくこんなに詰め込めるな、と思うのにどれも付け足し感なく一編の映画としての完成度の高さ。
さすが、フランス映画であり、ルネ・クレール監督である。
戦前からの映画批評家の先生達がフランス映画を愛した理由がよくわかる。
②冒頭の刑務所における囚人達の流れ作業でお馬さん人形が出来ていく描写と、中盤のレコード会社工場での流れ作業で蓄音機が出来ていく描写とが呼応している構成。
人間が機械に使われている描写は『モダン・タイムス』そっくりと思ったら、本作の方が本家でした。
③ついには機械が自動で製造して人間の労働者が要らなくなるところまで進んでしまうが、90年経ってもここまで進んでいないというか、AIが発達していずれ何でもAIが人間の代わりになるのでは、との弊害というか脅威を既に予見していたよう。
いやはや何ともである。
④しかしなんといっても、何からの自由か、という問いかけの先に、“自由”に生きるのが一番幸せという人間賛歌で締めくくっている事に心暖まる。
温故知新
1931年(昭和6年)の映画がルネ・クレール監督没後40周年特別企画としてデジタルリマスター版として復活。
かっての刑務所仲間のその後の人生の明暗をコミカルに、時にミュージカル風に面白おかしく描いています、今観るとセリフが少ないのが、かえって画面に没入でき新鮮に思えました。
1931年は日本では羽田空港が開港し、本格的トーキー映画(マダムと女房)が公開された年でした。
大量生産社会の訪れで労働者が機械の奴隷に退化する様を皮肉ったコメディはチャップリンのモダンタイムズ(1936)が有名ですが、それ以前に本作が描いていました。当時は本作の盗作論争も起こりましたがチャップリンは否定、仮に真似たとしても光栄とルネ・クレール監督は気にも留めなかったそうです。逆に本作のコメディタッチはチャップリン映画を彷彿とさせるもので双方ともに少なからず影響を受けていたと言うのが実態でしょうね。
ベルトコンベア方式は1914年にT型フォードの組み立て工場で導入され普及したそうですが本作でも蓄音機の組み立てに追われる様が風刺されていました。その後のオートメーションの新工場稼働で今度は大量解雇、失業問題かと思ったら従業員が余暇を愉しむ様子が描かれ、単純労働から解放された歓びを享受している様でした。これがタイトルの言わんとするところなのでしょう・・。
いまだに自由になっていない我等
知らない人に是非教えてあげたい、この至福感
サイレントからトーキーの過渡期に生まれた傑作
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