「スタージェス監督が撮った「スパゲティー・ウェスタン」は、法律上の問題を投げかける:合法性はいつも正義だとは限らない」シノーラ やまひでさんの映画レビュー(感想・評価)
スタージェス監督が撮った「スパゲティー・ウェスタン」は、法律上の問題を投げかける:合法性はいつも正義だとは限らない
黒澤監督の『七人の侍』を翻案した西部劇『荒野の七人』(1960年作)を撮った監督がJohn Sturges である。そのストーリーの大枠は原案通り、侍ならぬガンマンが農民を助けるという構図で、同じスタージェス監督によって1972年に発表された本作も、ある白人アメリカ人がメキシコ人農民を心ならずも助けるというものである。しかし、1964年作の「スパゲッティ・ウェスタン」の『荒野の用心棒』を知っている観衆は、しかもその主人公であるClint Eastwoodが本作の主人公でもあれば、当然本作でもイタリア製ウェスタンのタッチをイメージする訳で、実際本作は、アメリカ製にも関わらず、「スパゲッティ臭」がぷんぷんする。やはり、筆者には、イーストウッドが演じるところの、非道徳とは言えないまでも、期を見るのが早くて打算を働かせながらも、ある種のシニカルさを含ませた主人公キッドの振る舞いに何か惹かれるものを感じる。
さて、ストーリーが進むにつれて本作は少々辻褄が合わなくなるのであるが、それは、やはり本作が取り扱っている問題の二重性にあるのではないか。つまり、いわゆる「合法性」の問題である。映画の最初に、アメリカ国旗の権威の下、合法的にメキシコ人が貧困に貶められていく不正義が提示される。その不正義に「非合法に」反抗すれば、反抗した者は「犯罪者」になる。となると、犯罪者は法の下に裁かれはするが、本来的な不正義は依然として解決されず、合法的であるが、不正義状態はそのまま固定化される。ここにはいわゆる「法治国家」における社会的不正義を如何に止揚し得るかの問題が開示されているのである。ドイツ・ナチズム時代におけるユダヤ人迫害は、「人種法」という法律を以って「合法的」になされたのであり、民主的ヴァイマール憲法下の議会は、「授権法」という法律を以って機能停止に追い込まれたことを人は記憶に留めておくべきであろう。その意味で、本作の「善玉」がどこで「悪玉」をどうやって裁くか、とりわけご注目ありたい。
その大地主の「悪玉」を演じているのがRobert Duvallで、好演している。この卑劣な大地主に雇われて登場するガンマンたちも如何にも悪さ加減が滲み出ているのであるが、その中の一人、格好は付けているが間抜けのガンマンが一人いて、そいつがまた格好のいい銃をこれ見よがしに見せびらかす。銃器にはあまり詳しくない筆者も一目で分かる銃で、それがモーゼルC96である。独特な形状と、木製ストックを取り付けると代用カービン銃として使用できる点で、一度見たら忘れられない銃器である。なお、名前の「モーゼル」は、本来なら、Mauserマウザーと読むべきところ、これがフランス語読みされて「モーゼル」となるところ、ひょっとしてフランスの武器商人がドイツ製の武器を日本に喧伝し、それでMauserという名前がフランス語読みされて、その名前が日本で広まったのかもしれない。