ザ・デッド <ダブリン市民>より(1987)のレビュー・感想・評価

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5.0なべての生けるものと死せるもののうえに

2021年5月31日
PCから投稿

ダブリン市民はジェイムズジョイスという人が20世紀のはじめに書いた。
それ以外のことはとくに知らない。
わたしは高校生のとき読んだ。
同じ頃ジョンヒューストンがダブリン市民のなかでもっともゆうめいな篇、死せる人々を映画化し、撮り終えてすぐに亡くなったので遺作になるというできごとがあった。
映画はVHSで見た。

わたしは高校生だったが、死せる人々を読んだとき、終わりの部分に、映像を感じた。
おそらく小説としてももっともゆうめいな最後のセンテンスである。

『(中略)そう、新聞の言うとおりだ、アイルランドじゅうすっかり雪なのだ。雪は中部平野のいたるところに降っている、樹木のない山々に降っている、静かにアレンの沼沢に降っていた。さらにまた、もっと西へ行って、みだれさわぐ暗いシャノン河の波にも静かに降っていた。さらにまた、マイケル・ファウリーが埋められてある、丘の上の寂しい墓地の隅々にも降っている──ゆがんだ十字架や墓石の上に、小さな門の槍先に、荒れはてた荊棘に、雪は吹きよせられて、厚く積もっている。天地万物をこめてひそやかに降りかかり、なべての生けるものと死せるものの上に、それらの最後が到来したように、ひそやかに降りかかる雪の音を耳にしながら、彼の心はおもむろに意識を失っていった。』
(ジェイムズジョイス作安藤一郎訳「ダブリン市民・死せる人々」より)

読んでいて、──アレンの沼沢、シャノン河、ゆがんだ十字架や墓石の上に、小さな門の槍先に、──という羅列の手法が、短い点景をかさねる映像のように思い浮かべることができた──のだった。

そしてジョンヒューストンのThe Deadでもやはりそうなっていた。Donal McCannという俳優が、窓辺に佇んで囁くように、死せる人々のラストセンテンスをそのまま語る。
その語りのあいだ「アレンの沼沢」や、「暗いシャノン河」や、「ゆがんだ十字架や墓石の上」や、「小さな門の槍先」に、しずかに雪が降っているカットがつぎつぎに移り変わっていった──のだった。
あなたがかつて読んだ原作がその思い浮かべたままに映像化されていたとしたら、どうお感じになりますか?The Deadはわたしにとって原作を読んだことがある映画──のもっとも幸福な体験だった。

雄々しさや骨太を撮り続けてきたひとの最期が、アイルランドの死の景色だったことに打たれた。また映画人(俳優や監督)の遺作が、凡打なことは案外多いが、The Deadで閉じたジョンヒューストンは究極の花道だったと思う。

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津次郎