「C'est La Vie」田舎司祭の日記 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
C'est La Vie
ロベール・ブレッソン監督の作品は1966年の「バルタザールどこへ行く」を観て、大変に感銘を受けた。本作品はそれより15年前の1951年の作品で、ブレッソン監督が50歳ころに製作されている。
当時のフランスではジャン・ポール・サルトルらによって実存主義が人口に膾炙していた。サルトルの実存主義は無神論であり、それが流行していることに対して聖職者の苦悩は大変なものだったであろうと想像される。
本作品の主人公である若い司祭も、第二次大戦後の白けた雰囲気の中で布教するのは相当な苦難であり、同時に彼自身の信仰を失わないでいるのも至難の技だったと思う。教えている女子生徒たちから感じる敵意のようなものが、彼自身の精神の不安定さをよく現わしている。
本作品で扱われている死は、神に召されたという宗教的な尊厳のある死ではなく、単なる肉体の死滅、あるいは物理的化学的な現象として合理的に受け止められる。葬儀は死者の魂のためものもではなく、死んだことを周知させる儀式となっている。そこには司祭の出る幕はない。死んだのは神のほうだったのかもしれない。
殆どの登場人物の芝居は表情に乏しく台詞は棒読みのような映画だが、主人公である司祭だけは悲しみと苦しみの表情が豊かで、ブレッソン監督は宗教や宗教者ではなく人間を描きたかったことがよくわかる。最初は整っていた日記の字が、最後は乱れて殴り書きのようになる。司祭の苦悩の振れ幅が大きくなっている現れだろう。
司祭の十字の切り方が、手の平を外側に向ける珍しい切り方で、この当時の聖職者は自分ではなく信徒に向けて十字を切るのだと思った。信仰は自分ではなく信徒のものなのだ。しかしその思いも虚しく、司祭の信仰は人々に伝わらない。虚しさだけが残る、とても寂しい映画だが、これが人生なのだと言われている気がした。C'est La Vie。