「日本の戦後の特撮映画の再出発は、月形龍之介を介した、円谷英二、牛原虚彦、伊福部昭の1949年の京都の出会いからだったのかも知れません」虹男 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
日本の戦後の特撮映画の再出発は、月形龍之介を介した、円谷英二、牛原虚彦、伊福部昭の1949年の京都の出会いからだったのかも知れません
1949年7月公開、大映作品
白黒作品ですがごく一部のみカラー
音楽は伊福部昭
特撮は円谷英二が担当しましたがノンクレジットです
円谷英二は大映で2本撮っています
1949年7月 虹男(本作)
1949年9月 透明人間現る
同じ大映でもカラー作品の「宇宙人東京に現る」は1956年の作品で円谷英二は関わっていません
東宝の特殊技術課長だった円谷英二が何故大映で?
というのも戦後の東宝争議で仕事どころでなくなり嫌気をさしていたところに、戦時中に戦意高揚映画に関わったとしてGHQ の公職追放の指定を受けたため1948年3月に東宝を退職せざるを得なくなったのです
いろいろあった後、自宅の敷地内に仕方なく「円谷特殊技術研究所」という独立プロを設立していろいろな映画会社の特撮パートを担当していたというわけです
とはいっても戦後直ぐの混乱期ですから特撮の仕事などそうあるものでもありません
ほんの一瞬だけの程度だと思われます
本作のようにノンクレジットで関わった作品が他にも多数あるようです
東宝には日本が独立を回復する直前の1952年2月に公職追放が解除されて復帰しています
つまり丸5年外部にいて活動していたと言うわけです
本作はその作品のひとつというわけです
まるでウルトラQか怪奇大作戦の原形を視ているかのような印象の作品です
とは言え、肝心の特撮シーンはほとんど有りません
虹男という魅力的な言葉の響きに見合うようなもう少し幻覚映像を期待していたのに肩すかしです
特撮映画と思ったらそうじゃ無かったらというガッカリ感があります
部分的にカラーと言っても一瞬のこと
初代仮面ライダーの変身時のカラーアニメよりも短かくショボイです
序盤に警視庁にいるとき俄かに天候が荒れる程度の無意味なシーンがある程度
無理やり特撮の出番を作ってもらったような仕事では恥ずかしくて名前を出すのを遠慮したのかもしれません
しかも本編ドラマの演出が今ひとつで映画の出来としては正直あまり面白くありません
とはいえコアな特撮ファンと自認するなら本作と「透明人間現る」は観ていないと少し肩身が狭いかもとは思います
というのも、円谷英二が東宝を離れていた期間での仕事のひとつでノンクレジットながら彼の仕事として分かっている作品であること
もう一つは、伊福部昭と円谷英二が初めて接点を持った仕事であるからです
しかしこの時点ではまだ互いのことは知らないのですが・・・
円谷英二は本作の15年前は京都にいて松竹下加茂撮影所や日活京都撮影所など渡り歩いていました
その時に時代劇俳優の月形龍之介と知り合う縁ができたようです
その後円谷英二は、東宝の前身の映画会社に入社して東京に戻って忙しくしていましたから戦後ひさびさに京都に出て来て映画の仕事をしていたなら、自然と一緒に飲もうやとなったと思います
月形も戦前は大スターでしたが、戦後は、仇討ち要素があるということでGHQから剣戟映画が禁止されてしまい不遇をかこっていたのです
その京都の小料理屋で円谷英二と伊福部昭は出会ったのです
その後円谷と伊福部の二人は飲み友達となったのです
当時の円谷英二は困窮していたため、いつも年下なのに伊福部昭が奢らされて閉口したそうです
しかし互いに何者かも知らずにいて、この5年後の「ゴジラ」の製作発表のときに初めてお互いのことを知ったそうです
伊福部昭は1914年生まれで、円谷英二の13歳年下
本作公開の1949年当時、円谷英二は48歳、伊福部昭は35歳、月形龍之介は47歳でした
伊福部昭は釧路の出身で北海道の林務官として働きながら名のある音楽賞も受賞して、戦前からすでに若き名作曲家として頭角を現していました
しかし戦争中に身体を壊してしまいます
療養後の戦後、東京音楽学校の講師に招聘されます
その頃に映画音楽の仕事にも関わりはじめていました
東宝のプロデューサーの田中友幸との接点はこの時に始まったと思われます
伊福部は本作の1949年頃は東京世田谷区に住んでいましたから、偶々映画の仕事で京都にいたのかも知れません
このような不思議な縁で円谷英二と伊福部昭は気心が知れた間柄となり、その後数多くの特撮映画を生み出すことができたのです
本編監督の牛原虚彦は、円谷英二の4つ年上の52歳
松竹蒲田撮影所の出身で、その後日活京都撮影所、さらに新興キネマに移籍します
月形龍之介とは新興キネマの時に接点があったようです
それが1934年頃のこと
その当時円谷英二も日活京都撮影所にいたのです
なのでこの三人は15年前から顔見知りだったと思います
新興キネマは1942年に他2社と合併して大映となっていました
戦後の混乱期の1949年、この大映にいたベテラン監督の牛原に、顔馴染みの大スター月形から円谷に仕事を世話してあげてくれとの頼みがあったのかもしれません
月形龍之介は、本作のすぐあと「透明人間あらわる」に博士役で出演をします
「透明人間あらわる」も大映の作品です
大映への企画持ち込みは円谷の発案で、月形、牛原のルートだったのかもしれません
月形はその映画で博士の役を手にいれる事ができたのです
その後、日本の占領も解け剣戟映画も自由に取れる世の中となり、彼は東映京都撮影所に入ってまた時代劇で活躍し初代水戸黄門となっていくのです
日本の戦後の特撮映画の再出発は、月形龍之介を介した、円谷英二、牛原虚彦、伊福部昭の1949年の京都の出会いからだったのかも知れません
蛇足
本編に登場したシュールレアリスムの絵画は岡本太郎風でした
「宇宙人東京に現る」の宇宙人のイメージ画は岡本太郎でした
もしかしたらあれは彼の作品だったのかも?