劇場公開日 2004年2月7日

「これも新藤監督流の反戦映画であることは間違いがない。」ふくろう talkieさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0 これも新藤監督流の反戦映画であることは間違いがない。

2025年11月20日
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鑑賞方法:DVD/BD

「国策の誤りが、いかに民衆の生活を破壊するか」ということについては、太平洋戦争中の満蒙開拓団という移民施策が、他の何よりも、雄弁に物語ると、評論子は思います。

それは、寒冷の大地を耕作地に変える苦労ということだけでなく、戦況の悪化による軍部(関東軍)の方針変更もあり、別作品『黒川の女たち』にも描かれているような、凄惨な結末を迎えたということだけではありません。

命からがら日本に逃げ帰るに際しては、旅程の足手まといになる幼い子どもたちが、多く、現地の中国人に預けられ、後には「中国残留日本人孤児」として、大きな社会問題となったことも、レビュアーの皆さまには、すでにご案内のことかとも思います。
(問題解決が、ようやく緒についたのは、終戦後、40年近く経ってからのことでした。)

本作は、舞台設定としてそういう満蒙開拓団を描くものではありませんが、同開拓団の引揚者は、日本に帰還しても故郷には「居場所」がなく、国内の他の未開地に、再び開拓団として入植するケースも少なくなかったと聞き及びます。

本作の「希望が丘開拓団」も、おそらくは、そういう開拓団の一つだったのでしょう。

しかし、そうして入植した新たな入植地での生活も、決して平坦で、豊かなものではなかった―。

コミカルな要素も交えて描かれてはいるものの、全編を通じては、あたかも玉突きの玉や心太(ところてん)のごとく、再び「開拓団」として、日本国内の辺境への転進を余儀なくされるその悲哀は、スクリーンを通じても、放射熱のように、犇々(ひしひし)と伝わるかのようです。

もちろん、本作の「希望が丘開拓団」は、満蒙開拓団ではないのですけれども。
しかし、その実態を具(つぶさ)に観察すれば、境遇として、中国大陸に送り出された満蒙開拓団と、少しも変わらないことにも気がつきます。

そう考えてみれば、映画を通じて、一貫して「反戦」を訴え続けた新藤兼人監督らしい、本作も立派な反戦映画に仕上がっていたと、評論子は思います。

佳作だったとも思います。

(追記)
よっぽど嬉しかったのでしょうね。
ようやっと稼いだお金で、滞納していた水道料金を払うことができ、久しぶりに水浴びができたことは。

若い女性のエミコが、あられもない素っ裸で水を浴び、満顔笑みではしゃぐ姿からは、心待ちにしていた通水が、それほど嬉しいことだったのでしょう。

それほど倹(つま)しい生活を強いられて来ていたことにも、胸が痛みました。

これも、戦争の惨(むご)さの、いわば「余波」なのだったとも思いました。

talkie