「家庭にも戦後社会にも居場所がない多くの「亮助」たちへ」宗方姉妹 jin-inuさんの映画レビュー(感想・評価)
家庭にも戦後社会にも居場所がない多くの「亮助」たちへ
終戦から5年、1950年(昭和25年)に公開された本作。
映画の序盤は美人姉妹宗像シスターズの父、宗方忠親(笠智衆47)が住む京都が舞台です。
ここには戦争の影は見えません。
気持ちのよい風の吹き抜ける日本家屋に一人住まいの父。父の古い友人である京大医学部の教授が、胃がんに侵された父の病状を姉、三村節子(田中絹代42)に告げます。父は病を得て余命短いことを薄っすらと自覚している様子ですが、恬淡としています。苔寺の庭、苔の上に落ちた一輪の椿の花、それを最後に見ることができたと、しきりに喜びながらうまそうに酒を口に運ぶ父と、それを黙って見つめる節子。
父の元を客として訪れる古い知り合いでフランス帰りの家具会社経営、田代宏(上原謙42)。気安い田代と父の前で幼い少女のように振る舞って見せる妹、宗方満里子(高峰秀子27)。この父と娘たち親子の間には断絶は見えません。
ある一日、姉妹で仲良く寺見物に出かけ、姉に連れ回されて退屈を口にする妹。この姉妹の間には小さな断絶が見て取れます。
病の影と命の儚さは感じられるものの、京都は姉妹にとってのびのびと明るく、安心して過ごすことのできる場所のようです。出てくる人物も、みな二人の味方ばかり。
次の舞台は神戸です。満里子は一人で田代の経営する家具会社に遊びに来ています。しゃれた明るい社長室に飾られたフランス製の人形。田代はルックスも生き方も、ちょっと日本人離れして見えます。本作の欠点と言えるのが、彼の人物設定にあると思います。こんなストイックな完璧超人、いる?いやいない。
満里子の自由奔放な一人芝居(cute&funny!)で、かつて節子と田代が恋人同士であったこと、田代の洋行でその恋が終わったこと、田代はいまでも節子のことを慕っているらしいこと、などが明かされます。
ここで、敵その1、カフェを経営する裕福な美人未亡人、真下頼子(高杉早苗33)が登場します。満里子は女の直感で頼子が田代を狙っていることを察知し、敵意をあらわにします。
次の舞台は連合国軍占領下の東京です。父の持ち家である一軒家に、姉妹と姉の夫である三村亮助(山村聡41)の3人が暮らしています。この夫の登場で、本作の雰囲気が一気に暗く苦い味に変わります。
・戦争帰りの中年男
・最初はなぜか眼帯をしている
・机に向かってドイツ語を勉強するのが趣味
・外国語はできても、自分の胸中、葛藤を言語化できない、しない
・妻に対しては単語しか発しない
・猫にしか心を開かない
・夫婦には子供がいない
・着物に下駄履きで太宰治みたい
・仕事の口がない(エリートのプライドが邪魔するのか?)
・妻の日記を盗み見て、田代にめらめらと嫉妬心を燃やす
・うらぶれた居酒屋「三銀」が唯一の心安らぐ場所(女中のキヨちゃん、千石規子がso cute!)
・「三銀」では「先生、先生」と呼ばれており、どうやらエリートだったらしい
・家庭にも戦後社会にも居場所がない
・生活能力を持たず、満里子からは邪魔者扱いされてしまう
・いきなり妻の職場に現れたり、不可解な行動を取ることがある
亮助はまるで救いのない設定の男ですが、本作の登場人物たちの中では、もっとも実在感のあるキャラだと思います。きっと当時の日本には多くの「亮助」たちがいたことでしょう。
いつも和装で古風な節子は実は東京でバーの共同経営者であり、満里子はそこでバイトしているという、なんとも奇妙な設定です。
バーが経営難に陥り困った節子は、田代に資金援助を頼みます。その件が夫にばれ、夫婦の間の断絶が深刻化します。
ここで節子はどうするか?
選択肢1:夫と別れ、田代の力を借りてバーの経営を続ける
選択肢2:バーの経営を諦め、夫とともに慎ましく生きていく
なんと節子は2を選びます。
ここで亮助はどうするか?
「夫を支える貞淑な妻」という生き方を選んだ節子の頬を何度も何度も張り飛ばします。
このシーンが悲痛なのは、妻の頬の痛みと夫の心の痛みと、その両方を同時に感じるからだと思います。この暴力をきっかけに、妻は夫を捨てて田代の元へ走る決意を固めます。亮助は妻に自分を見限らせるために、わざと暴力を振るったのではないでしょうか。
出張で東京へ出てきた田代の元を訪ねた節子。なんとそこに突然亮助が現れます。やっと仕事が見つかったことを嬉しそうに話し、また姿を消します。彼の真意はなんだったのか。田代に「妻を頼む」と言いたかったのか。それとも節子に「すまなかった、戻ってこい」と言いたかったのか。
なんとも不器用であわれな男亮助はいつものように居酒屋でクダを巻き、深酒して帰った夜に頓死してしまいます。私は亮助を「クズ男」と安易に切り捨てることはできませんでした。多くの「亮助」たちは、本作を観て自分の姿を省み、中には生き方を変えた者もいたのではないでしょうか。亮助の死は病死だったのか、あるいは自殺だったのか、詳細は語られません。夫の真意を悟ったのか、あるいは夫の死になんらかの責任を感じたのか、節子は思いを寄せてくれている田代に別れを告げ、映画は終わります。
いまだ古い価値観にこだわり、自分を殺して生きているように見える節子。でもそれを「自分の選択」だと、清々しい顔で語ります。昭和25年にはまだ多くの「節子」たちも残っていたのかも知れません。
田代の胸に飛び込んで戦後社会、高度成長期の日本を謳歌することを、小津監督は節子に許しませんでした。先立たれた夫の菩提を弔って生きる古風な女性の生き方、それが監督の節子に託した生き方でした。この映画を原節子も観たのでしょうか。
古い考えに縛られず、新しい生き方を模索しようとする妹満里子を「ほんとうに新しいものはいつまでたっても古びないもの」と節子は諭します。姉妹の間の価値観は戦前と戦後に引き裂かれているようです。節子の言葉は小津監督の映画哲学なのでしょう。たしかに、本作は令和の時代にも十分鑑賞に耐えうる映画なのではないでしょうか。