劇場公開日 1955年1月9日

人間魚雷回天のレビュー・感想・評価

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5.0回天搭乗員が「僕達が死んで行くのは、無謀な戦いを無謀なものだと気付かせるためなんです」と語るシーン それが本作のテーマです

2020年10月18日
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鑑賞方法:DVD/BD

1955年1月9日公開、新東宝作品 松林宗恵監督は元海軍出身、しかも日大芸術学部を短縮卒業して海軍兵科予備学生となり、1944年に海軍少尉に任官しているのですから、劇中の回天搭乗員達と同じです 監督は、155名の兵を率いる海軍陸戦隊長として南支那廈門島に着任したのですが、まかり間違うと回天搭乗員に選抜されていたかもしれなかったのです だから本作には細かなディテールに至るまで恐るべき迫真性の高さがあります 何気ない所作、言葉遣い、服装、調度品、小道具などまで神経が行き届いているのが伝わって来ます 物語は1944年11月中頃から12月12日まで 前半は回天訓練基地での日々を、後半はイ36潜水艦に搭載され南太平洋の米軍泊地への出撃という構成です 概ね史実をベースにしています 冒頭の訓練基地は1944年9月、瀬戸内海の山口県大津島に設立されています 回天の最初の出撃は同年11月8日で、11月19日から20日にかけて攻撃が行われたが、故障が起こり発進出来なかった回天もあったそうです 宇津井健の演じた村瀬少尉のエピソードはそれがモチーフになっています 史実では次の出撃は、12月の下旬から行われています 劇中に登場するイ36潜水艦の出撃は、史実では12月30日で、ウルシー南泊地の攻撃は1月12日とのことなのです ちょうど1ヶ月前倒しでの物語になっています ただし戦果は小さな歩兵揚陸艇1隻だけでした 劇中にあるような大型空母や戦艦が撃沈されたような華々しい戦果を回天が挙げた事実は終戦まで一度もないのです あのようなシーンは搭乗員と送り出した人々の願望が見せた、そうに違いない、そうであって欲しいという妄想だったのです 本作のように、洋上で潜水艦が駆逐艦とに取り囲まれて、逆襲に回天が発進した例は実際にあったそうです 戦時中の公式の戦果報告書は、そのような思い込みで書かれています 戦後米軍資料と突き合わせて、本当の戦果がこんなものでしか無かったことがはっきりしたのです 回天作戦は回天搭乗員80名~87名の犠牲を強要したにも係わらず戦果は僅かに撃沈3隻、しかも一番大きいものでも武装タンカーでした 損傷を与えたのも4隻に過ぎなかったのです それでも米軍は恐怖に陥ったそうです 逆に言うとそれくらいの効果しかなかったのです 回天の名称は「天を回らし戦局を逆転させる」 つまり天運の挽回という意味だそうです 回天の部隊は別名「菊水隊」と呼称しています 劇中の回天搭乗員達の制服のワッペンや、回天には波と菊を図案化したマークが付いています 菊水は大楠公の旗印から採られたモチーフ しかしその波の上の菊のマークが、海上の爆発の図案に見えてしまうのです なんという皮肉でしょう いやよく見ると、実際の菊水マークの菊の花弁が間引きされています それで本作での菊水マークは菊ではなく、爆発に見えるようにわざとマークを改変した図案にしていたのです 監督の演出意図だったのです 飛行機による神風攻撃は有名で沢山映画になっていますが、海の神風攻撃である回天の映画はそう多くはありません 飛行機なら目標が見つからなかったり、故障したりすれば帰還するなり、不時着したりする可能性も少しあります しかし回天は、母艦から発進すれば確実に死ぬ それ以外のことはないのです しかも軍医から回天発進前に青酸カリまで搭乗員に渡されるのです 万一、座礁して捕獲されて秘密が漏れるのを防ごうとまでしていたのです 飛行機の特攻隊員以上の精神の破壊が、回天にはあるのです このような非人間的な兵器を生み出してまで戦う そのような時点で、もう戦争に負けています もはや戦争に勝ってはいけないという存在になっているのです そのことを、本作は訴えていると思います 劇中、回天搭乗員が「僕達が死んで行くのは、無謀な戦いを無謀なものだと気付かせるためなんです」と語る 「暴力には必ず限度がある」とも 飛行機の特攻隊員でも、同様の主旨のことを話す映画がありました 戦果は大してない、それで戦局が挽回されることなんか有り得ない そんなことは死んで行く彼ら自身が分かっていたのです 無意味な死を自ら積み重ねて見せて、日本人を正気に返らそうとしていたのだと思います その意味で、本当に尊い犠牲だったのです 彼らのその思い、平和への意志は、戦後75年を過ぎても私達に届いていると思います 瀬戸内海の山口県大津島の基地跡地そばに回天記念館があるそうです 一度訪れてみたいと思います 特撮について 水中での回天や、母艦の潜水艦の動きはもちろん特撮が使われています しかし特撮を誰が担当したのかのクレジットはありません 新東宝特殊技術とのみタイトルバックにあるだけです 新東宝の1953年の「戦艦大和」の特殊撮影には上村貞夫、黒田武一郎の名前がクレジットされているのでこの二人である可能性が高いと思います 円谷英二は、戦後の1948年に東宝を公職追放され、独立プロダクションを設立して各映画会社の特撮を担当したりしていましたが、1952年米軍占領が解かれて東宝に復帰しています そして「太平洋の鷲」、「ゴジラ」、「ゴジラの逆襲」を1955年までに担当しています 本作は、1954年11月の「ゴジラ」と、1955年4月「ゴジラの逆襲」の間に当たるから、ゴジラ完成後の11月から12月にかけての期間であれば円谷英二が担当できる可能性はないとは言えませんが、やはり無理があると思います 水中の特撮シーンはそれなり程度の出来です 当時のことをおもえば頑張っている方だと思います 空中の敵機の豆粒ほどの小ささが逆にリアルでした 出撃時のイ36潜水艦の実物大セット、潜水艦内のセットは目を見張る素晴らしい出来映えです 今までみた日本映画の潜水艦の映像の中でも屈指のものです

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あき240