日本女侠伝 真赤な度胸花のレビュー・感想・評価
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到底評価出来る様な作品じゃないでしょ
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満洲としたいのだろうが、この年代ではいささか抵抗感を伴うので、北海道にしたのだろう。いずれにしても、時代考証は全く無視。
当時のマカロニ・ウエスタンの影響。
どこかで見た様な気がしたら、あの監督のシェーンをモデルにして作った話と思った。
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穴埋めとして使役される異郷
前作『日本女侠伝 侠客芸者』が稀代の傑作であった一方、本作は演出といい脚本といい粗が目立っていた。藤純子と高倉健という任侠映画界の二大スターを起用しながらも、両者が秘める官能性は平板なショットと平板なセリフによってことごとく仇花と枯れ、その寂しさを韜晦するように北海道の風景が凡庸な絵画のように挿入される。
終盤のカチコミに関しても見どころが少ない。互いにひたすら物陰に隠れながら銃撃戦を繰り広げるというのはあまりにも映像的に旨味がないし、引き金を引きあぐねる藤純子の代わりに高倉健が銃をぶっ放すという展開は誰でも予想がつくものだ。
藤と高倉が惹かれ合う理由も判然としない。土地をめぐる親の代のいざこざが本質的には何も解決していないというのに、その当事者同士である二人が惹かれ合うというのは、恋の暴走というよりは任侠映画のフォーマットへの単なる盲目的追従にしか感じられない。
一番悪いのはカチコミのあとのエピローグが長すぎる点だ。土地を離れる高倉を馬で追う藤が合流するラストショットではなぜか空撮が用いられているが、空疎な長回しが発生して尺が延びているだけで何の効果もない。これが北海道という「異郷」の地形をとりあえず映しておけばそれっぽくなるだろうという目論見ゆえであれば、浅はかなオリエンタリズムであると叱罵する他ない。
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