楢山節考(1958)のレビュー・感想・評価
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ラストカットに殉じた実験性
深沢七郎の原作を舞台芸術のフレームで立ち上げた実験的作品。『カルメン純情す』の終始不安定なカメラワークや『野菊の如き君なりき』の回想シーンにおける疑似ホワイトビネットなど、木下は本作以前の作品においても随所に実験的な作風を取り入れてはいたが、ここまで大胆なのは本作ぐらいなんじゃないかと思う。
隅から隅まで人工的に設計されたセットと演出のもとで演じられる寒村の生活は、童話のように現実味を欠いている。「楢山様への謝罪」や「楢山参り」といった奇妙で残酷な風習を経れば経るほど、物語はより非現実性を強めていく。
次第に遠ざかっていく物語は、しかし最後の最後で現実へと投げ返される。寒村の朝焼けの光景から唐突にカットが切り替わり、信州の山奥を走る汽車と「姥捨駅」という駅名が映し出されたとき、童話じみた非現実的物語は現実の生々しい延長として受け手にアクチュアルな戦慄をもたらす。
ただ、最後の最後で一気呵成にひっくり返すという本作のやり方は、ともすれば粗悪なホラー映画のジャンプスケアと大差がない。木下惠介にしてはやや安直というか繊細さの欠けた作品だったように思う。フォーマットを舞台芸術に定めるという実験性に関しても、結局のところ最後のワンカットのための布石のためでしかなかったと思うと残念だ。
生きる事とはこういう事と思わせられる
・母親が最初から、来年には山にっていう話を朗らかに語る姿がとても苦しい。息子の辰平もずっと聞きたくない言葉を聞いて耐える姿がつらい。けれど、そうしなければ家族全員が飢え死にするという…生きる事ってこういう事なんだろうなと考えさせられる。そこにきて息子?の浅はかな感じがとても腹が立ってくる。後妻さんがとてもいい人なのが気持ちを救われる。
・全編セットを組んでの撮影っぽくて圧倒される。カラスも室内で放してったぽいし。遠景が描かれたパネルにぶつかっていたし。
・村で盗みを働いた一家を断絶させる感覚とかが恐ろしい。とはいえ、自分もそういう見方で人をみていなくはないので、わからなくもない。好きな人の友達が嫌な人だったら何となく嫌な人に見えてきたり、その逆もあったりと関係性で判断してしまっているという感覚の延長というか…。
・やっぱり、一番きついのはラストの姥捨てにいくシーン。幾人もの人達がここでっていうのを証明する散乱した骨がきつい。村の決まりを決まりに従って説明するシーンから重たい。道中、しゃべらないとか、母親はそれをしっかり守ってしゃべらない一方、息子は今生の別れ、といっても見殺しにしにいくようなものだからその罪悪感を薄めようと語り掛ける。その感じがつらい。最後の最後に今姨捨駅のカットが入り実際に日本であったことっていうのを強く感じさせられて、また考えさせられる。
カブキ・スタイル
今村昌平の『楢山節考』も素晴らしいが、もう一人の巨匠、木下恵介版を推薦したい。木下版は、奇抜で独特のムードがある。歌舞伎、文楽、能などの古典芸能を駆使し、世界に類を見ない。
低予算ながら、まるで土着演劇を観ているようだ。木下はこの独特の映画スタイルで、日本の「姥捨て」伝説を見事に復活させた。しかし、その非日常的な世界を明らかにした原作者・深沢七郎もまた、すごい。木下監督の演出力によって、このおどろおどろしい日本の風習は芸術作品に生まれ変わったのだ。
ヘタでベタ。
世界一嫌いだ、この婆さん。
古い価値にしがみ付き、悲劇の主人公然として恩着せがましく痛々しく、純粋被害者という甘美な立ち位置から、他者を黙々と責め続けて、露悪的に死ぬ。
そんな婆さんの話し。
名作らしいが、腹が立ち、且つツマラン。
田中絹代の演技もヘタでベタ。
与える愛
圧倒的貧困の中での人間の物語
筋書きは有名。
知っているはずの結末。
だが、言葉を失ってしまう。
舞台を模した映画。
”昔物語”としたかったのだろうか。
冥界を彷徨ってきたかのような。
そして、
鉄の力強い動力は、闇を切り開いていく象徴?
映画の制作年代からかなり経った今となっては、それは何を成しえたのであろうか。どこに連れて行ってくれたのだろうか。何を目指しているのか。
残酷な物語。
自ずから命を絶たねば、次世代を育てられなかった時代の物語。
玉やんのように、嫁として別世帯で養ってもらう。
奉公という名の人買いに託す。
身ごもった、産まれたばかりの子を水に流す。
そんなあらゆる方法の一環としての姥捨て。
生きるか死ぬかの世界。
作中にも、生きるために盗みをした一家への制裁が描かれていた。
そんなギリギリの生の物語。
ひ孫を生かす為の自分の死という自覚があるからこそ、おりんばあさんのあの表情なのだろう。
次世代への礎。与える愛の尊さ。おりんばあさんには我欲というものが感じられない。
若き猿翁丈(三代目市川団子)が自己中な孫を演じる。
有名な田中絹代さんの演技。
オ―ルセットの作りものの世界。セットの見事さ、セットならではの大胆な演出もさることながら、
そこに展開されている人々の心情、演技がリアルに描き出される。
ほっこりとした人情味溢れる温かい世界。そのすぐ脇に横たわる生死の境目。
そしてやりきれない結末。
初めは歌舞伎?新劇?のような演出に戸惑いつつ、姥捨てをしなければいけない背景、親子の情にぐいぐい惹き込まれていく。
生きるとはどういうことなのか。考えさせられる映画です。
オープニングの松竹のロゴから「グランドスコープ。」の文字
歯が33本。年の割には歯が丈夫な老人おりん。自分が捨てられにゆく楢山祭だというのに、妙に明るい。家族の会話でもその話ばかりだ。「夏に楢山へ行ったら、草や木など食べるものがいっぱいあるから冬がいいよ」などと平気で論ずる孫。しかし、一番山に行きたがってるのはおりん本人なのだ。
食糧難。多分、年貢に取られて苦しい農民たち。出発前の講釈はなかなか不気味でよかった。出発前に隣の又やんもじいさんを連れていくのだが、じいさんは暴れて逃げ出したりして、迫真の演技。ついに辰平がおりんを担いで山へ向かう・・・このBGMがずっと津軽三味線で辰平の心情を見事に表していた。幻想的な風景の中、おりんは岩の前で即身仏になるかのように黙って座る。
ラストには現代(とは言え1958年)の「おばすて駅」が登場。現実味を帯びたエンディングがなんとも切ない。
古い映画、古い筋書、斬新な演出。 楢山節考、その筋書、感動自体は、...
古い映画、古い筋書、斬新な演出。
楢山節考、その筋書、感動自体は、時代が下るにつれ褪せていくかもしれないが、この映画の素晴らしさは褪せることがない。
本作は超高齢化が進展する21世紀の日本の物語でもあるのです
姨捨山の物語だから結末は誰もが想像するとおりのものです
ですが本作を観終わった時に訪れているのは、観賞前の想像を遥かに超えてくる強烈な映画体験をした放心状態なのです
圧倒的な美術、音楽、照明、撮影
田中絹代の無言の壮絶なる演技
これらか渾然一体となりラスト30分は金縛りとなるでしょう
何故に舞台仕立てなのか、何故に音楽が長唄であるのか
ロケでいくらでも適当な山間の村落で撮影できたはずなのに何故にオールスタジオ撮影なのか
それらへの答えがそのラスト30分にあるのです
この世とあの世の境目の幽玄の光景を、私達は体験するのです
そして音楽もまた、日本語の響きや抑揚とリズムの中に深く刻み込まれている日本人の情緒そのものを長唄の節回しと、三味線の音階と旋律、ユニゾンするリズムによって、この超絶的な映像体験を見事に強調しているのです
なんと実験的で前衛的な映画であることかと感嘆するばかりです
しかもその取り組みが独りよがりな映像実験ではなく全てが計算の上に製作され、しかも成功しているのです
恐るべき木下惠介監督の才能です
当時でも21世紀の現代に於いてもなお最先端といえるのではないでしょうか
何百年もの昔の山奥の寒村の特異な物語であることをエンドマークの前に製作当時の現代のシーンとして蒸気機関車の牽く列車と姨捨山の駅名表示板を写します
それによって私達はまるで催眠術を解かれたかのように、ようやくお山に連れていかれた私達の心を呼び戻すことができるのです
何百年も昔の話?
人生100年時代という今日
年金制度は実質的に破綻しているといいます
年老いた世代の負担が現役世代の暮らしを押し潰そうとしているのです
21世紀の現代の日本がまるごと本作の山奥の寒村のようになる日がもうすぐそこにまで来ているのです
今十代や二十代の若い人にとっては劇中の息子の再婚夫婦の「わしらも七十になったら、一緒にお山に行くんだね」との言葉は永遠のように遠い未来のことのように思うかもしれません
しかし団塊の世代の人々は今おりんと同じ70歳前後なのです
本作公開時はほんの10歳位の子供だったのです
私達より若く小さかったのです
そして彼らはビートルズに熱狂し、髪を伸ばし、ギターを掻き鳴らした人々だったのです
嫁いできたときは村一番の器量だといわれたおりんのように若い時もあったのです
人生は振り返ってみれば一瞬だと言われます
若い人も気がつけばお山に行く日が目前にくるのです
そしてその前に自分の祖父母や両親がそうなるのです
団塊の世代をみれば、本作のおりんのように現役世代を守る為に自ら綺麗に身を引きリタイアする人もいれば、隣のじいさん又やんのように会社や社会にしがみつこうとしている人もいます
そして私達もいつかお山に行く日が来るのです
お山に雪が降る前に山に行き後に続く世代を守る覚悟がはたして私達にあるのでしょうか?
あるいは自分の親をお山に連れていく覚悟があるのでしょうか?
その日がきたとき自分はどうするのか
本作は21世紀に生きる私達に問いかけているのです
本作は超高齢化が進展する21世紀の日本の物語でもあるのです
・ちょいちょい歌舞伎の音楽が出てくるのに慣れるまで時間がかかったな...
・ちょいちょい歌舞伎の音楽が出てくるのに慣れるまで時間がかかったなぁ
・嫁とのやりとりでしんみり
・最後は無言のままの絹代に涙が出た
エグい!
もっと切ない悲しいばかりの話かと思っていましたが、冒頭から恐怖を感じざるを得ません。
これはホラー映画です。
美術とかそういうものもから既に計算済みの世界観。
すっと引き込まれてしまう演出。
完璧です。
木下恵介作品は何本か見ていましたが、これほどおどろおどろしい冷たい作品は初めて見ました。
おそらくこれ以降の世界の映画にかなりの影響を与えた作品ではなかろうかと思います。
それくらいのインパクトがありました。
今、かなりのダメージを受けています。
音楽もすばらしかった。
問題作であり名作。
田中絹代はこの役の為に健康な歯を抜いて15キロ減量した。
木下監督は深沢七郎の原作を歌舞伎的に日本美を表現した。
当時でも今でも画期的な手法で、特別な作品。
1983年に今村昌平監督が同作をリアルに表現した。
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