「ただ流されていく」浪花の恋の物語 文字読みさんの映画レビュー(感想・評価)
ただ流されていく
1959年。内由吐夢監督。近松門左衛門「冥途の飛脚」を映画化。飛脚問屋の養子の主人公はまじめ一筋。店の一人娘と結婚して後を継ぐことが決まっている。しかし、いやいや連れていかれた遊郭で出会った梅川にやさしくされ、一度は思い切って別れたものの、御大尽に見受けされる話を聞いて競争心が芽生え、超えてはならぬ一線を越えて店の金に手をつけてしまう、という悲劇。
片岡千恵蔵が近松門左衛門として登場し、梅川がいる遊郭に逗留して悲劇的な物語を実際に見聞きしている。そこから浄瑠璃の脚本を構想するなかで結末をアレンジする、というメタ構造になっている。事実のなかに時代や人間の本質を見抜いて物語化する、という近松の目のアップで終幕となる。
主人公も遊女も相手のどこに惚れたという心理的な説明がほとんどなく、周囲の思惑と金の行方だけで事態があれよあれよと進行していき、気づいたら追い詰められている。しいて言えば「無意識的な欲望」はあるものの(ライバルがいると奪いたくなる、嫌なものは嫌、など)、基本的にはただ流されていく二人。これが切ない。
近松の妄想として、萬家と有馬の道行的な踊りがインサートされる。かたや萬家は歌舞伎役者、かたや有馬は日本舞踊を教えることができるだけあって、この踊りと衣装がとても美しい。この映画を機に萬家錦之介と有馬稲子は結婚したとwikiにありました。
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