天国の駅のレビュー・感想・評価
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それでも…吉永小百合さんは美しい…
“吉永小百合が毒婦を演じる“という謳い文句が気になり視聴しました。
この中の小百合さんに色々な評価が出来るのでしょうが、やはり彼女は美しい。
最も印象的だったのは、最終盤の彼女と西田さん演じるターボーとの抱擁シーン
の彼女の表情‥ハッとさせられました。
DVD,買って大損!
「教誨師」ってノンフィクションの死刑囚に携わった教誨師の生き様を描いた小説の中で、林葉かよが出てきて、その人物像に興味を持って、そうなると当然、ずーと、この映画が見たくて見たくて、DVDまで買ってようやく観ました。
感想は、最悪。吉永小百合さんが演じてたせいか、小林カウを美化しすぎ。本当は、もっと欲深くで、卑劣な女だったと思う。実際の話を忠実に再現して欲しかった。ただの吉永小百合さんの話題作りの映画にしか思えなかった。
白石さんのインパクト。
かなり前に見た映画。
『百物語』の白石さんを初めて意識した映画。
あれだけの登場で、すべてを持っていく。
今映画を思い出しても、「ああ、あの白石さんの」という印象。
そこから、ポツポツ、、周辺の場面を思い出していく。
西田氏の怪演もすごかった。
好青年のイメージが強い三浦氏の悪役も新鮮だった。
でも、西田氏は作り込みすぎ、昭和世代の典型的な役柄・演技。
三浦氏は小悪党ぶりが良かったけれど、及第点に見えてしまう。”普通”の役が一番難しいと聞くから演技力の証明なんだけれど。
白石さんの前では霞んでしまう。
そして、吉永さんの演技。
戦後”唯一”の死刑囚(解説から)・初の悪役と呼び声が高かったけれど…。
吉永さんを、これでもかと美しく女神のように見せるための演出。
それが功を奏して、美しすぎる、悲しすぎる、運命に翻弄された女性の映画になってしまった。
でも、死刑囚を題材にした映画。これで死刑になるか?
死刑の前に、ルージュを希望した、その心理がどうの、こうのというインタビュー記事を読んだ記憶があるのだけれど。
解釈の違いなんだろうけれど、この映画のかよが、死ぬ前に望むものってルージュか?腑に落ちない。腑に落ちるように演技で作ってくれたのならいいのに、それもない。
予告に「美しすぎるゆえに、翻弄された…(思い出し引用)」人生の最後に望むもの。最後の言葉「私きれい?」それをどんな思いで口にしたのか。
映画途中でのターボとのやり取り。「私はきれいではありません(思い出し引用)」。それって単なる造形の美醜・見た目のことじゃないよね。
そのうえでのルージュ。表情が”女優”。『モンスター』のセロンさんのように、顔を役柄に合わせて作り変えることなんて思いもよらぬのだろうな。そこまで役にのめり込むこともないのだろう。
映画のキャッチコピーは「いのちより愛」。この話で?愛にどん欲な場面とか、愛によって覚悟をきめた場面なんてない。
もう一つのキャッチコピー「天国の駅は、たった独りでしか乗れない」も、映画で納得させてもらえず、コピーだけが浮遊している。サユリストの「僕がお供したいのに~」という憐れ・同情を煽っているように見えてしまう。
「吉永さん、初の悪役」に興味を持って鑑賞。罪を犯せば悪役か?人を殺せば悪役か?
運命に流されるだけで、状況を自分の力で変えることをしなかったことが悪なのか?
そう見えるけれど、男に翻弄されるか弱い女性に甘んじることで、男どもを翻弄させて不幸にしたことを”悪”として表現しているつもりなのか?
実際の事件設定だけ借りて、実際の人物のいやらしさを示すエピソードは全く書き換えられている。
サユリストが作ったサユリストによるサユリストのための映画。サユリストが望む範疇を決して出ない。
心の中に潜む闇を演じられないのか。
きれいなんだけれど、イプセンの『人形の家』のノラにしか見えない。
吉永小百合は美し過ぎるのです そして純粋無垢過ぎるのです 現実に存在するファムファタルです
この映画はプロデューサーの岡田裕介さんの名前に注目すべきだと思います
映画というものは普通監督の作品であって、主演俳優の演技とともに代表されるものです
それが本作ではプロデューサーこそが、この作品を代表していると思います
残念ながら、岡田祐介さんは昨年2020年11月18日に永眠なされました
71歳でした
以下敬称を略させて頂きます
今年2021年3月10日、渋谷のホテルでお別れの会がありました
それを伝えるニュースには、吉永小百合と西田敏行が贈る言葉もありました
彼は1949年生まれ
吉永小百合の4歳下です
ご存知の通り本作公開当時、東映の名物社長であった岡田茂のご長男です
石坂浩二に良く似た風貌で、スカウトされて芸能界入りしたほどの男前の人
映画産業とのかかわりは、1970年のこと
父がその当時東映の映画製作本部長であったのを隠して父のライバル会社東宝の映画「赤頭巾ちゃん気をつけて」のオーディションに応募して、5500人を勝ち抜いて主演を勝ち取り映画デビューしたところから
21歳の時です
1975年には、岡本喜八監督から「吶喊」の主演だけでなく、自分は監督に専念したいからとプロデューサーを頼まれてしまいます
26歳、当時の最年少プロデューサーの誕生でした
父と同じ仕事の製作の方が性に合うのか、次第にプロデューサー業がメインになり、1980年には大作の「動乱」を製作するほどのひとかどのフリーのプロデューサーとなられます
そして1988年に東映入社、京都撮影所長、取締役、常務と栄進され、2002年には東映の社長に就任されます
2014年からは会長をされていました
その間本作をはじめ、多数の吉永小百合の映画を製作されたことも、映画ファンの皆さんなら良くご存知のとおり
本作公開は1984年
吉永小百合は39歳、そして岡田祐介は34歳
まだまだ二人とも若いのです
熱い血が溢れているのです
吉永小百合は良く知られているように、渡哲也との大恋愛の末、周囲の反対に押されて結婚を断念します
1969年のことです
しかし渡哲也の事を忘れられなかったのか、渡が1971年に一般女性と結婚してしまうと大ショックを受けてしまい、2年後の1973年に15歳年上しかも離婚歴のあるフジテレビディレクターと突如電撃的に結婚してしまいます
本作の公開はその11年後の事です
吉永小百合夫妻には子供は産まれませんでした
一方、岡田祐介はあれほどの男前、映画業界の大物、その上仕事はできる
女性の方からいくらでも寄ってきたはずですが、生涯独身でした
本作は岡田祐介の企画発案によるものです
吉永小百合の主演が最初から決まっていたものです
岡田祐介と吉永小百合の出会いは、映画業界の中で早くから顔見知りではあったでしょう
しかし彼が映画デビューした頃には、既に彼女は雲の上の憧れの大スターでした
当時彼は21歳、彼女は25歳です
おそらく彼が吉永小百合と親しく会話できるようになったのは、1980年の「動乱」の製作の時からではないかと思われます
彼は26歳、彼女は30歳
自分には吉永小百合への個人的な妄執が本作を製作させめた作品だと思えてなりません
ここから書くことは単なる個人的な妄想です
勝手な想像でしかありませんことをお断りさせていただきます
吉永小百合は永遠のマドンナ
他に比肩するもののない美しい女性
しかし肉体を持つ生身の女性
そして人の妻です
しかも心の奥底には渡哲也への愛が消えずにいつまでも燃えているのです
手がでません
手の出しようがありません
しかし、女優の吉永小百合ならどうか?
プロデューサーである自分が映画の中なら好きにできるのです
三浦友和が演じる悪徳警官の橋本浩一や、
津川雅彦が演じた温泉旅館の主人福見康治は、それぞれ岡田祐介の願望です
もちろん、中村嘉葎雄が演じた殺される前夫林葉栄三は吉永小百合の現実の夫を投影されているのです
そして西田敏行の演じた田川一雄(たーぼ)は、現実の岡田祐介です
彼女に触れることすらできない
近くで彼女をひたすら見つめ、守る
それしかできない卑しき男
だから本作のポスターはたーぼが、かよを背負って雪の中どこまでも助けるというものなのです
まったくもって、これは決意表明に他なりません
だから終盤あれほど、荒れ狂って彼女を守ろうとしたのです
あのシーンが長いのです
「もう、いいのよ」という吉永小百合の台詞
それはご葬儀かお別れの会で、語りかけられた言葉のよう聞こえました
かよはもちろん吉永小百合その人です
劇中、かよはこんな台詞を言います
「私は夫を殺した女です」
それは私は結婚を殺した女ですに聞こえます
そしてなぜ殺したのか問われ、「愛が欲しかったのかもしれません」といわせるのです
現実の吉永小百合の苦悩を自分が代弁し、その苦悩を少しでも軽くしてあげたい
それが本作のテーマです
しかし現実の吉永小百合に手を出すことは、吉永小百合本人にとってそれは不倫です
清純派の大スターの彼女にとりそれは死刑を意味する事なのです
死刑になってもいい
天国に行けるならむしろそうなりたい
しかしやはりダメだ
絶対にできないことなのだ
それが冒頭とラストシーンの意味することだと自分には見えました
天国の駅はたった独りでしか乗れない
終盤、かよの吉永小百合は駅で切符を2枚下さいといいます
天国とは岡田祐介が夢みる吉永小百合との愛です
だから2枚なのです
しかし現実は映画ではないのです
決して天国へ二人で行くことは叶わないのです
こうして自分の願望を映画にするしかないのです
だから天国にはたった独りでしか乗れないのです
岡田祐介は本作を製作することで独りで天国に乗って行くしかないのです
本作には、かよを姉と慕う真行寺君枝の演じた幸代という女性が登場します
岡田祐介は冒頭で述べた通り2020年11月18日に亡くなられました
生涯独身で貫かれ、杉並区の自宅に妹二人と年老いた母と暮らされていたそうです
その日の夕刻、自宅で倒れ病院に運ばれたもののそのまま息を引き取られたとのことです
しかし、その場に居合わせて救急車を呼んだのは家族ではなかったそうです
60歳くらいの映画業界のある女性だったそうです
年の差も、かよと幸代と同じくらいです
おそらく吉永小百合も岡田祐介との接点で、その彼女を昔から良く知る、仲良くされていた方だったと思います
この人が幸代に投影されていたように思えてならないのです
邪推が過ぎました
これらはすべて素人の空想、妄想だとお笑い下さい
渡哲也も岡田祐介ももう亡くなられてしまいました
しかし彼女の夫は、2021年現在91歳前後でご存命です
吉永小百合は美し過ぎるのです
そして純粋無垢過ぎるのです
現実に存在するファムファタルです
ぜひ「愛と死の記録」、「時雨の記」、「長崎ぶらぶら節」もご覧下さい
サユリストよりもトシユキスト
人は吉永小百合のオナニー映画だと思うだろう、いやふしだらな警官三浦友和の映画だと思うだろう、だがしかしそれは間違いである。正直、吉永も三浦も演じているのかいないのか。特に面白くはない。
本作でもっとも熱演していたのはター坊西田敏行、怪演である。本当の主人公は彼ではなかろうか。
人を、愛することの重さ
愛されたい。体を抱かれるだけでなく、心を包み込んで欲しい。寂しさ。一筋の希望。人の心の闇。衝動。断る勇気を持てないことによって、自らのことを大切に扱えなくなった女。心まで売り飛ばすことの危険性をよく教えてくれた。
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