妻として女としてのレビュー・感想・評価
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タイトルなし
冒頭の掴みが本当に素晴らしいのだけど、中盤以降はラストに向けて畳みかけるようにやたら場面転換や回想シーンが多く、興を削がれた感じがした。ジェットコースターに乗るシーンを入れる辺り、意図的で心憎くも感じた。
家に帰るとやけっぱちに歌う高峰秀子、祖母(飯田蝶子)の合いの手、仲代達矢との絶妙な距離感のやり取りは素晴らしかった。星由里子は洋服と顔が本当に映えていたし、森雅之は相変わらず意気地のない男をやらされるけど、中年の渋さとカッコ良さが滲み出していてヤバかった。
作品全体としてはイマイチに感じたけど、子役含め俳優陣の魅力が引き出されていたし、演出が光る場面も多くあった。
男女関係の影と戦後社会にけりをつけそこねること。
1961年。成瀬巳喜男監督。建築を教える大学教授とその妻の家庭には、大学に合格したばかりの長女と中学生の長男がいる。さらに、教授には銀座のバーを任せている妾がいる。妻と妾はお互いを意識しながらもなんとかやってきたが、ある日を境に女二人に決定的な対立が訪れ、真実が明らかになって、、、という話。
徐々に過去が明らかになっていくスリリングな構成。戦争中の男女関係がついつい戦後に尾を引いて、気づいたらもはや戦後16年。別れを決断する妾が慰謝料を求めるが、妻がはねつけることで、秘密の封印が解かれてしまう。家族団らんや女性たちの語らいの場の画面の明るさに対して、男と妾、夫と妻が語らう画面になんと影が多く陰惨なことか。
長い年月にわたる微妙な人間関係を丁寧に描く成瀬節炸裂。人物が口ずさむ流行歌、小唄、鼻歌にも複雑な陰影がある。いまだに戦争を引きずっている戦後社会の総決算(の不発)でもある。味わい深い映画。
冒頭では不穏な雰囲気をまき散らすだけの踏切と遮断機の警告音、電車の通過の場面が、映画後半では実際に子どもたちの未来を閉ざす暴力的な力となって表れる。予兆とその実現。しかも、子供たちは暴力的な踏切などなかったかのごとく、親世代のごたごたを軽々と乗り越えて、映画を見に行くのだ。
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