「今こそ本作と家族ゲームを受けて令和の時代の台風クラブをリメイクしなければならない」台風クラブ あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
今こそ本作と家族ゲームを受けて令和の時代の台風クラブをリメイクしなければならない
家族ゲームに遅れること2年
ここでは家族のゲームを演じる家庭どころか
親すら登場しなくなっている
健の親が台詞もなく一瞬映るのみだ
それも彼の家が困窮家庭でネグレクトされていることを説明する為だけに登場する
ただいま、お帰りなさいの台詞はそれを表現するものだ
理恵が寝坊した時に父も母もいない
母を呼ぶだけで、父は呼びもしない
彼女は誰もいない家で母の布団にくるまり自慰をする
それは愛情に飢えている表現だ
台風の中の商店街で出会うオカリナを吹く不思議な男女
あれば彼女の両親の投影だ
オカリナはオカルトのもじり
彼女のオカルト趣味は両親から来ているものなのだろう
しかしその両親は娘の助けの求めには応えてくれず、全く取り合ってもくれないのだ
仕方なく警官の人形にすがるのだが勿論応えてくれるわけもない
兄弟も三上の兄だけが極短時間姿をみせるだけだ
その兄も弟への声かけは家計の心配、ひいては自分にどのようなしわ寄せが来るのかの心配によるものだ
思春期の不安定な精神を正面から受け止めてくれる家族はどの子供達にもいないのだ
子供達だけで思春期の精神の不安定さを乗り切ろうとするほかないのだ
台風という思春期の熱病の嵐の中で子供達は、所詮遊びつかれたら眠るだけの何もできない子供であることを知る
家出をして東京にいく、彼女を襲う、自殺を図る
これらは全部子供たちの夢想に過ぎない
だから、シャイニングや犬神家の一族の有名シーンのオマージュがあるわけだ
台風が去り子供達の精神が安定すれば、空は明るく晴れ渡り子供達は表面的には何事もなく学校に向かい日常にもどるのだ
一方、大人の代表たる梅宮先生は大人達だけで台風の中カラオケをしている
そこには濃密な心の触れあいがあるが、それは大人だけでしかない
家族が作られようとしているのだが、あの二人が結婚しても果たして普通の家族になり得るのか
それを先生の彼女の父の刺青が不安として表現している
子供達の親は団塊の世代の始めだろう、梅宮先生はその終わりの年頃にあたる
子供達は団塊ジュニアの走りになる
この構造は家族ゲームと同じだ
しかし本作では家族ゲームで松田優作が演じた家庭教師に相当する梅宮先生まで、子供達を突き放しているのだ
彼は子供達に夢や希望を与えようなどとはこれっぽっちも思っていない
それどころかか15年もたてば自分のこのような姿に成り果てるのだとさえ言い放ち子供達のそれを破壊するのだ
こうした家族の環境の中で団塊ジュニアは育ち今や大人になり、本作で登場しない親の歳になっているのだ
本作公開からそれほどの時は流れたのだ
子は親にされたようにしか子供を育てることは出来ないものだ
一体いまの中学三年生は台風が来たら、どう子供達は乗り切っているのだろうか?
ネットの中に避難しているのかも知れない
今こそ本作と家族ゲームを受けて令和の時代の台風クラブをリメイクしなければならないと切に思う