劇場公開日 1982年8月7日

「本作は決して右翼的な映画でも、左翼に偏向した映画でもありません そこが右翼からも左翼からも評価されない作品になっている原因であると思います」大日本帝国 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0本作は決して右翼的な映画でも、左翼に偏向した映画でもありません そこが右翼からも左翼からも評価されない作品になっている原因であると思います

2020年10月3日
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鑑賞方法:DVD/BD

東映の戦史映画三部作の第二作

第一作「二百三高地」 1980年8月
第二作「大日本帝国」 1982年8月
第三作「日本海大海戦 海ゆかば」 1983年6月

三作とも監督舛田利雄、脚本笠原和夫です

1981年公開作品が無いのは、その年に東宝が連合艦隊を公開したため競合を回避したそうです

東宝8.15シリーズは、1967年から1972年まで6年間続いたことになっています

この6作品です
1967年「日本のいちばん長い日」
1968年「連合艦隊司令長官山本五十六」
1969年「日本海大海戦」
1970年「激動の昭和史軍閥」
1971年「激動の昭和史沖縄決戦」
1972年「激動の昭和史海軍特別年少兵」

ところが、そのあと断続的に戦争映画が三作品公開されています

1976年10月2日「大空のサムライ」
1981年8月8日「連合艦隊」
1984年8月11日「零戦燃ゆ」

連合艦隊と零戦燃ゆは8月公開であるので東宝8. 15シリーズに入れている人もいるようです

大空のサムライは1972年に発行されてロングセラーになった太平洋戦争のエースパイロット坂井三郎の自叙伝を映画化したもので、おそらく当の東宝も単発企画と考えていたでしょう
公開日も10月です

東映も、もう東宝が戦争映画を出さないだろうと思い込んだのでしょう
そこで4年空けた1980年に二百三高地を公開したところ大ヒットしました
そこで連続して次回作である本作を企画したところ、なんと逆に東映の二百三高地の成功をみて東宝が連合艦隊を出してきたのです
結果的に驚いた東映が競合を回避したという経緯であると思われます

本作のテーマはずばり、戦争責任です
東条英樹をメインに、サブに様々な人物を配してそれを描いていきます

脚本は笠原和夫は、軍閥の脚本を書いた笠原良三の弟子です(同姓でも縁戚関係ではないそうです)
なので本作の内容は、軍閥を補完する内容となっています

昭和天皇に戦争責任はあったのか?
終戦の判断は遅すぎではなかったのか?
一般の兵隊や国民には戦争責任は無いのか?
大日本帝国が目指したことは本当に侵略戦争であったのか?

本作はそれを徹底的にえぐり出そうとしています

本作はそれらの答えに補助線は示しますが、断定して押し付けようとはしないところは好感は持つ事ができました

それぞれの答えは本作を観た私達がそれぞれに考えるべきことです

天皇陛下陛下万歳と叫んで死んでいく日本兵が何人も登場します
終盤の戦犯の銃殺刑執行シーンもそれです
本作の意図は明らかに戦争責任は天皇にこそあるのだと主張しているように一見みえます

しかし一方で、天皇陛下の戦争責任は明確に否定していると思われる描き方もされています

軍閥においても、戦争回避、終戦を模索されたのは天皇陛下ただお一人であったことが描かれています
本作においては、さらに踏み込んで御前会議で陛下には発言が憲法によって許されていなかったことが明らかにされており、それを破ってでも戦争回避と終戦の意志をお示しされたことを明確にしています

つまり、本作は決して右翼的な映画でも、左翼に偏向した映画でもありません
そこが右翼からも左翼からも評価されない作品になっている原因であると思います

シンガポール攻略戦においては、欧米諸国の植民地支配からアジアを解放する戦いであるという大日本帝国の建て前が、現地の人々から支持されていなかった現実を描いています

サイパン玉砕の悲劇をたっぷりと時間を割いて描かれています
沖縄戦の悲劇は1年も前にサイパンにおいて起こっていたのです
この時点で戦争の勝敗は決していたのです
サイパンが失陥すると日本本土が空襲を受けることが明白であることは分かっていたのです
だから絶対的国防圏と呼称して必死に戦ったのです
ここで終戦していればどうだったでしょうか?
これ以降のフィリピンの攻防での大量の餓死、特攻隊の出撃、沖縄戦の悲劇、本土空襲の悲惨、原爆の地獄は、全て防ぎ得たのです
ラストシーンで復員を果たした兵隊は、あのサイパンで俺が還らなかったら、お前が住民を連れて降伏しろと命令を受けた兵隊です
彼の職業は散髪屋です
そうです、もちろん東宝の沖縄決戦で、田中邦衛が演じた司令部付きの散髪屋を受けているのです

ここで終戦を図るべきであったのは明白です
サイパンのシークエンスは東宝の沖縄決戦への回答であったと思います
当然の帰結だったのだ
サイパンで答えがでていたのだという主張です

洞窟に立てこもる兵隊と住民達
降伏を呼びかける米軍の声
無視する日本人達
仕方なく投げ込まれる手榴弾、そして銃撃

それは沖縄や本土で決戦を挑もうとしている日本の運命の縮図そのものだったのです

かって反戦的な考えをもっていた人物が、フィリピン戦の敗走においては、現地民を理不尽に殺害する部下を止めず黙認した人物として描かれています
そのような人物であっても、結局戦争を支持して協力していたのは国民であったことを描いています
バツの悪いことでも事実だと思います

それでも国民もまたこの戦争を支持して始めたのは間違いないことです
そしてなかなか負けを認めようとしなかったのは、国民も同じだったのです

知らされていなかったから?
かも知れません
本作はそれを主張しています
果たしてそれだけであったのでしょうか?

国民が負けを本当に認めるのは、自分の身の回りに戦災が降りかかってからではなかったかと思われます

だから特攻隊員は、次々に自ら戦死してそれぞれの家族に痛みを直接伝えることによって、早く国民に負ける心構えを無意識に作ろうとしていたのでないでしょうか?
彼らは負ける為に死んでいったのだと思います

様々なことを本作を観て考える事でしょう
右にも、左にも偏らず、自分の考えで太平洋戦争とは何であったのか?
大日本帝国とは何であったのか?
そこを考えることは、21世紀の日本がこれから困難な時代に入ろうというときに本作を見直す意義は大いにあると思います

是非軍閥と合わせてご覧下さい

あき240
野球十兵衛、さんのコメント
2024年2月20日

あき240さん、コメント失礼します。
この作品、篠田三郎さんの最期の「天皇陛下バンザーイ!」が妙に心にひっかかった記憶が強くあります。
フォローさせていただきますね。これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

野球十兵衛、