アマチュア(1979)のレビュー・感想・評価
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ポーランド映画、あなどるなかれ 実は「映画哲学」。 ― あれよあれよと云う間に、映画製作の世界にハマって 〜転落していく映画人の可笑しみを通して。
ポーランド映画
監督クシシュトフ・キェシロフスキー
脚本と主演イェジ・シュトゥール
1979年
レンタルDVDの盤面は赤と白。これはポーランドの国旗の色。
前半は微笑ましいものだ。
我が子の妊娠と誕生を残しておこうと、8ミリカメラを買った男。
会社の同僚全員が職場を放ったらかして参集。新米パパの家に集まって、夜更けまでみんなで誕生の知らせを今か今かと待つなんて。
ところがその後は思わぬ展開を見せる。素朴な彼はいつの間にかマイホームパパから新進映像作家との扱いに。
で、戻るに戻れなくなると云う筋書きだ。
「君はカメラを持っているそうだな?」
場合によってはこれは、連行されて拷問や自白強要の展開。シベリヤ行きかと、ハッとして身が硬くなるセリフだ。
人は去る。
しかし映像作品は残ってしまう。
その残した物の“一人歩きのちょっとした怖さ”を
社会主義体制の東欧で撮るから、後半はこれが見応えになってくるのだ。
我々にとっては、今でこそ8ミリはおろか、ハンディのビデオカメラも廃れてしまって、野放図の一億総スマホムービーの時代だ。
でもあの頃はそうではなかった。日本でもポーランドでも。
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中古の映写撮影機は月給の2ヶ月ぶん。フィルムも高い。
僕もハイカラ趣味の叔父から、銀色のOLYMPUSの16ミリカメラをもらった事があった。あの時にはずいぶんと舞い上がってしまった。スパイが隠し持つような小型のシルバーだった。
お小遣いの全てをフィルム代と現像代に注ぎ込んだものだ。
ファインダーを通し、自分でこの世界をアングルし、プロデュース出来るようになった興奮がそこにはある。
たくさんの映画に触れるようになった僕は、作品の解説を読み、そして監督たちの経歴もそこでたどってみる。
今でこそ名を上げた監督たちも、駆け出しの時分にはピンク映画の助監督からみんなスタートしている。
劇中の主人公モシュや、僕のカメラの経験も重なって、その頃の彼らの姿を想像するのが楽しいのだ。
カメラやカチンコを初めて手にして、胸が躍った人ならば「そうだそうだ、そうだったよな・・」と懐かしく思うだろう本作だ。
・ ・
1979年の作品。
ポーランドは、戒厳令と「連帯」のワレサ委員長の攻防を経て、1989年の民主化のあともロシア・ウクライナとは隣り合わせの国だ。
それゆえに、撮って良いものと、
撮影行為が体制や軍機に触れる安全ギリギリのものとが、暗黙の背中合わせにある。
「霊柩車が暴走するあの白黒映像」を観ながら、“自分が遺体になる明日”を予感する監督たちの、実は生死を賭けていた映画作りへの矜持と云うものを、久しぶりに感じさせてもらった。
◆「君らはアマチュアなのだ。撮りたいものをあるがままに撮るべきなのだ」
審査委員は口角泡を飛ばす。キェシロフスキの代弁だ。
◆けれども工場長はモシュを郊外に連れ出して、丘の上から農場を眺めてとくと語り聞かせる
「君には全てが告発すべき灰色の世界に見えるのか」
「人の暮らしは美しい、だから君の映画作りで台無しにしてしまわないように」と。
これもキェシロフスキの代弁なのだと思う。
◆そして上司のオスフは降格追放となってなお微笑みつつ、若き映画監督に励ましを告げる
「映画は人を傷付けもするが、人を救いもする、続けなさい」。
キェシロフスキの言葉は全て矛盾しており、偉大だ。
そして主人公フィリップ・モシュは、しゃっくりが止まらず、立場の重みに震え、緊張のあまりペプシ・コーラを一気飲みだ。
「忖度」や「自制」や「政治介入」の影には負けまいとする、モシュ本人も、工場長も、上司も、審査委員も。
彼ら庶民のしたたかさも、そこにはちゃんと映っている。
エンディング。
検閲者であり権力の出先であった工場長の、あの柔らかな語りかけに懐柔されて、悪玉だと思っていた工場長の立場を“理解”してしまうあの衝撃のラストシーンで、
《フィリップ・モシュ》に、キェシロフスキーは《翻弄される祖国ポーランドそのもの》を見ているに違いないのだ。
そして皮肉な事だが、その深みに置いては「反体制」の本作品が、公開年に、あの時代にあって、ソ連本国で「モスクワ国際映画祭」の金賞受賞している理由は何だろうか。
ロシアの中古カメラで撮る祖国。
テレビからはポーランドの誇り、ショパンが流れている地。
「映画とは何か」。
産みの苦しみと、産まれた子を“育児”していく日々刻々の迷い。
その時代と、祖国と、哲学が鋭く問われている。
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