劇場公開日 1953年10月31日

「日本の美意識の全貌を初めて世界に広めたといって過言ではないと思います 日本映画にとり大きな意義のある作品だと思います」地獄門 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5日本の美意識の全貌を初めて世界に広めたといって過言ではないと思います 日本映画にとり大きな意義のある作品だと思います

2025年5月11日
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鑑賞方法:VOD

地獄門

羅生門は、ご存知1950年に黒澤明監督が大映で撮った作品
翌1951年にヴェネツィア国際映画祭金獅子賞と1952年のアカデミー賞名誉賞受賞
どちらも日本映画初でした
以後国際映画祭から日本映画への出品要請や海外からの日本映画への買い付け要請が相次ぐようになります
それを受けて、海外で受けそうな日本映画の製作がおこなわれます

大映では2作あります
そのひとつ雨月物語は1953年3月の溝口健二監督の作品
ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞を受賞しました
但し、金獅子賞は該当無しだったので実質的にはグランプリです

もう一つが本作です
雨月物語と同じ年1953年10月の作品
第7回カンヌ国際映画グランプリ受賞

つまり、
日本映画は羅生門、雨月物語、地獄門(本作)と連続して世界最高峰の映画賞を受賞していたのです

羅生門と雨月物語は白黒映画でした
本作はカラー作品です
日本最初のカラー映画は1951年3月公開の「カルメン故郷に帰る」本作は、半年遅れほどですが、最も初期のカラー映画といえます
しかし本作は単にカラーで撮った作品ではありません
羅生門は日本映画の映画技術の高さを世界に知らしめました
雨月物語は、日本の美意識とはどういうものかを、白黒映画の特性を最大限に活かして知らしめました
本作では、日本の美意識とは何かを今度はカラーで知らしめるのだという野心をもって撮られているのです
イーストマンカラーフイルムを導入したからそれが達成できるかというとそうではありません
そこでタイトルロールのスタッフの最初の方にある色彩指導という見慣れぬ係に和田三造という名前に注目しなければなりません
その名前に心当たりがある人は美術に関心のある人かと思います
明治生まれの日本の洋画家です
和田三造の名を知らなくとも、その代表作「南風(なんぷう)」は誰でもご存知のはずです

上着を頭に掛け遠くを見据える
日本人離れをした筋肉隆々の体つきの男性が中央に立つ絵画
ほら、美術の教科書に載っているあの絵です
明治期の日本を代表する絵画です

1907年(明治40年)、第1回文部省美術展覧会(文展)で2等賞(最高賞)を受賞し、2018年には、重要文化財に指定されています
東京国立近代美術館所蔵されていて昨年念願叶って観ることができました

彼は、単なる画家で終わらず装飾工芸や色彩研究にも力を入れ1920年(大正9年)、染色芸術研究所、1925年(大正14年)、日本染色工芸協会をそれぞれ設立しています
だから洋画家であっても、日本の色彩の研究もされていた人物です
その彼が本作で色彩デザインと衣裳デザインを担当したわけです
撮影監督や美術、衣装担当任せでなくこのような色彩芸術の専門家に委ねたことが本作の最大の成功だったとおもいます
様々な色彩が画面に展開されます
西洋とは違うカラーチャートに基づいて色彩設計がなされたのでしょう
同じ緑色や紺色でも微妙に異なってこだわっているのが伝わります
漫然と撮ってはああはならないでしょう
本作はその甲斐あって
アカデミー賞では衣裳デザイン賞を受賞しました

海外の人々は、羅生門では野外撮影が主体でしたし、焼け落ちた廃墟の黒々とした羅生門の映像、雨月物語では湖上を進幽玄の世界の水墨画のような映像であり、日本建築の美意識は伝わっても色彩や着物の美しさは伝わっていないのです
当時の世界で日本の美意識の全貌を知る人は殆どいなかったと思います
そこに本作が日本の美意識の全貌を初めて世界に広めたといって過言ではないと思います
日本映画にとり大きな意義のある作品だと思います

インバウンド観光客が押し寄せる21世紀の日本
日本の美意識、色彩を海外の人々はまだ求めている証拠だと思います
映画が果たすべき役割は終わっていないのです

蛇足
地獄門とは?
平治の乱の4年前の保元の乱の際に大勢の討ち取られた武者の首が下げられた法起寺(ほっしょうじ)の山門のことです
でも本当は袈裟(けさ)と盛遠(もりとお)がばったりそこで再会したそのこと自体のことです
それが地獄への入口だったということです
法起寺はその後衰微していまでは民家のように小さなお寺として京阪東福寺駅そばに今はあるそうです、山門ももはや有りません

あと恋塚寺いうお寺さんが名神高速の京都南インター近くにあります
そこに袈裟の首塚があるそうです
なんでもその後盛遠は、己の非道を恥じて出家して文覚上人となり
、彼女の菩提を弔うために墓を設けて一宇を建てたのがこの寺の起こりだそうです
。境内には袈裟御前の首塚があり、本堂には文覚、袈裟、渡の三体の木像が安置されているそうです
茅葺の山門もあるそうです

もう一つ恋塚浄禅寺というお寺さんも近くにあるそうですがこちらには恋塚は有りますが山門は無いようです

あき240
NOBUさんのコメント
2025年5月11日

今晩は。
 変わらずに、勉強になり且つ興味深いレビューを有難うございます。
 私は、京都(にも)縁があるので、興味深く拝読させて頂きました。では。

NOBU
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