座頭市の歌が聞えるのレビュー・感想・評価
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盲目の琵琶法師
撮影は宮川一夫。今回で2回目となるが、やはり他の作品とは一味違う。冒頭でのシーンは特に暗い中に総天然色を活かした巧さ。
一の宮の旅の途中、盲目の琵琶法師(浜村純)と出会う。二人のやりとりも絶妙。この琵琶法師の助言で、斬り捨てられた為吉の息子である太一に悪人を斬るところを見せちゃならないと心が揺らぐ市であった。しかし二転三転する法師の言葉。最後には『シェーン』のような子ども心をくすぐるようなエンディングへ・・・
女郎屋からお蝶(小川)を身受けするための50両のために座頭市を斬ると板鼻の権造に約定した黒部(天知)。やっぱり金のためだけの決闘は感情移入は難しい。お蝶が市を一晩泊めるなどとよろめいたことから、色恋沙汰をも盛り込めば面白かったのに。
斬らねばならぬ不条理
シリーズ13作目。1966年の作品。
道中一人の浪人とすれ違い、その浪人に斬られたであろう男・為吉から金が入った袋を「一宮宿の太一へ」と託された市。そこで茶屋を営む為吉の母親と息子と出会う。
一宮宿は平和な町だったが、最近になって板鼻の権蔵というやくざどもがやって来て、のさばり大荒らし、町人を苦しめている。市は二人や町を守る為、権蔵らと闘うが…。
そこへ現れたのが、例の浪人、玄八郎。この男もある目的を持って…。
何と言っても本作のトピックは、第1作目以来の出演となる天知茂。
さすがに平手造酒役ではないが、今回もライバルとなる玄八郎役。
天知氏が演じるライバル役にはドラマチックな背景あり。
玄八郎がこの宿場町にやって来た目的は、女郎屋で働く別れた妻・お蝶を追って。ようやく捜し出すも、50両が必要。
そこで用心棒として権蔵に雇って貰う事に。権蔵は腕の立つこの男に市を斬って貰う。
玄八郎は市に恨みはないが、斬らねばならぬ。
市も玄八郎と対する理由はないが、対せねばならぬ。
どうしてもお互い斬らねばならぬのか。ラストの市対玄八郎は名カメラマン・宮川一夫による逆光の映像が素晴らしく、名シーンだが、あまりの不条理さが胸を打つ。
斬らねばならぬのは今回のやくざども。
権蔵らの横暴は、シリーズのやくざの中でも極悪卑劣。
勿論クライマックスは市がこいつら外道どもを一掃するのだが…、
基本ストーリーは市が悪徳やくざ一家と闘うというお馴染みのものだが、玄八郎の件や権蔵らの横暴さで結構重苦しさが漂う。
それがまた(先述したが)宮川一夫の逆光の映像美にピタリとハマった。
それにしても、監督・田中徳三、音楽・伊福部昭、美術・西岡善信、権蔵役に佐藤慶が憎々しく、お蝶役に小川真由美が色気を漂わせて、何と豪華!
タイトルを見ると市が歌を歌うシーンがあるように思うが、実際はナシ。
代わりに歌うのが、道中出会った不思議な琵琶法師。
法師の歌が併せて、市に問い掛ける。
人を斬る市。何故、斬る?
斬る理由があって斬る市。今度は肯定する。
おかしな事ばかり言う。
…いや、おかしいのはこの世の中。
善人が苦しめられている。
悪人がのさばっている。
我が目的の為に斬り、命を落とす。
殺めてしまう自分…。
弱きを助け、悪を斬るならまだしも、不条理な事の為に斬るなら、まことに苦しい。
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