「「戦場の現実は、戦場に出た者にしか分からない」」五人の斥候兵 so whatさんの映画レビュー(感想・評価)
「戦場の現実は、戦場に出た者にしか分からない」
1937年(昭和12年)7月7日、盧溝橋事件。12月13日、 日本軍が南京を占領。1938年(昭和13年)1月16日、近衛内閣は「国民政府を対手とせず」の声明を出し、日中和平工作を打ち切った。まさに日中戦争が拡大の一途を辿っていた同年、本作は公開されました。国威発揚の目的に創られた映画ですが、戦中の日本人による貴重な記録映像でもあります。
舞台は中国の前線。上官の戦死により、岡田中尉が隊長として部隊を率いています。200名いた将兵は、激しい戦闘の末にいまや80名にまで損耗したことがセリフで語られます。岡田部隊は城壁のある街を占領し、城門の上に日の丸を掲げます。生き残った兵隊達に、つかの間の安らぎが訪れます。銃の分解結合、タバコの回し飲み、大鍋での炊飯…。兵隊達の興味深い日常スケッチです。どこからか手に入れたスイカを抱え、カモを引き連れて戻ってくる男。「うまいかい?」刀で切ったスイカを負傷兵にも食べさせます。すき焼き、松茸、秋刀魚、トロの握り、ぜんざい…。「食いたいなー」と食べ物の話で盛り上がる兵隊達。空に友軍機を見つけるとみんなで手を振ります。本作は日本兵が戦死する生々しいシーンを描きません。兵隊達が、飯盒飯をフォークでかき込みながら、戦友の戦死した様子を語り合うシーンで、日本兵の死が間接的に表現されます。
台詞回しが三船敏郎にそっくりな小杉勇演じる隊長殿(岡田中尉)は、人格者です。「おれはな、陣中日誌がかけてないと、それが一番気になる。兵士たちの辛苦は日誌だけが知っているんだ。日誌さえ書いて仕舞えば、俺はいつ死んでもいいと思う。俺は暇があると日誌を繰り返して読むんだ。軍曹も読んでみるといい。どんな苦しい時でも、勇気が湧いてくるぞ。戦死した兵たちの魂が自分の体に集まってくるような気がするんだ」軍曹に体調を気遣われた際の、隊長のセリフです。隊長は部下に「ありがとう」「すまない」と一々きちんと頭を下げます。この部隊では隊長はお父さん、軍曹はお兄さん、まるで疑似家族です。後送されたくないと駄々をこねる負傷兵、「早く良くなって帰ってこいよ、待ってるぞ」と口々に声をかけ後送トラックを見送る仲間達、斥候が帰ってこないと心配し、帰ってくれば寄ってたかってみんなで世話を焼く。本作が強調して止まないのは、日本陸軍の兵隊達の仲間意識です。同じ釜のめしを食い、同じ戦場で生死を共にした仲間は、本当の家族よりも濃い関係になるのでしょう。それを理解できるのは、戦友同士だけなのでしょう。欧米の戦争映画とは全く異なる、人のつながりを描いた、戦争人情映画でした。おそらく食い入るようにスクリーンを見上げたであろう当時の男性たちは、どんな思いでこの映画を観たのでしょうか。
新たな任務が下り、次の戦闘に向けて岡田部隊は宿営地を後にします。以下は隊長の最後の訓示です。
「部隊はこれより出動する。今更お前たちに、何も言うことはない。全員覚悟はできているはずである。一死をもって大君の高恩に報い奉るは、まさにこの時である。海行かば水漬く屍、山行かば草生す屍。我が部隊の名誉のため、帝国軍陣の名誉のため、正々堂々心置きなく働いてもらいたい。東洋の平和、アジアの平和はかくして来ることを確信する。故郷の親、兄弟、妻、子供は、われわれのこのめざましい働きぶりをどんなにか待ち望んでいることか。それを思うとお前たち一人をも殺したくない。だが只今限り、お前たちの命を、この岡田に預けてもらいたい。そうして、俺と一緒に死んでもらいたい」