「世界のソニーチバは本作で誕生したのです」激突!殺人拳 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
世界のソニーチバは本作で誕生したのです
千葉真一さんは今年2021年8月19日にお亡くなりになりました
代表作として彼の訃報で紹介されていたのは本作でした
「燃えよドラゴン」は1973年の世界的大ヒット映画
この1作品だけで世界中にカンフーブームが巻き起こりました
ところが肝心の大スター、ブルース・リーが公開直前に急死してしまっていたのです
せっかくの大ブームをみすみすこのまま終わらせたくない
とりあえずは、ブルース・リーが生前に出演していた香港映画が2本、未完成作品が1本あるからそれで当面はしのぐ
ではそのあとどうするか?
もちろん次のカンフースターを探すのだ!になるのが当然です
とはいうものの、そうは言ってもカンフーが出来る映画俳優、しかも世界で人気がでそうな主演男優候補はそうそういるわけがありません
香港の映画界は血眼で探して、映画俳優になることをあきらめてオーストラリアでコック修行などをしていたジャッキー・チェンをようやく思い出して呼び戻しました
それが1976年
つまり香港映画は、3年もの間つぎのカンフー映画スターが不在だったのです
一方日本です
「燃えよドラゴン」は日本でも大ヒットしました
だから日本でも同様の映画を撮りたいとなるのは当然のことです
東映は、「燃えよドラゴン」より前、既に香港でのカンフー映画の人気ぶりを知っており、「燃えよドラゴン」の試写の段階で、これなら千葉真一で同様の映画は撮れると考えていたそうです
既に千葉真一は映画だけでなく、テレビでも人気ドラマ「キイハンター」で人気が爆発していましたし、スタントマンを必要としない身体能力のアクションで知られていましたから、彼の名前がでるのは当然のことなのです
ということで、当初は香港合作で香港ロケとかの大きな構想があったそうですが、結局流れて規模を縮小するなど紆余曲折の末、千葉真一を主演にしたカンフーと空手をかけあわせた映画が完成します
それでも公開してみると大ヒットとなったのです
なぜ空手かというと、伝説の空手家・大山倍達の半生を描いた「空手バカ一代」という漫画が1971年頃から少年マガジンで連載されて大人気になっていたからです
1973年10月からはアニメにもなって放映されました
つまり日本においてはカンフー人気と空手人気が合体していたからです
そして、なにより千葉真一は学生時代より器械体操だけでなく、極真空手も修行しており黒帯の腕前があったからなのです
海外からもすぐ引き合いが入ります
だって本場の香港からは、次のカンフー映画スターを出せなかったのだから
米国で公開してみると大ヒットになり、あれよあれよという間に上映館が膨れ上がったそうです
本作は海外の方が有名かもしれません
ソニーチバとして彼の名前は国際的大スターとなったのです
とはいえ物語はなんじゃ、こりゃ?!というトンデモ映画のレベルだし、チープですらあります
しかし千葉真一の身体への打撃を感じるアクションと顔芸と言うべき感情溢れる表情は、他にはない忘れられない魅力があるのです
またラストのタンカー甲板上での暴風雨の中のアクションシーンは大迫力です
本作での千葉真一のアクションは、ブルース・リーのスタイルを思わせます
場面によっては、ブルース・リーのアクションそのままのようにも見えるほどに意識して寄せられています
顔芸と言うべき感情の表現は「燃えよドラゴン」を手本にしているのは明らかでしょう
しかしブルース・リーよりも重い打撃を感じさせるところが、似ているようで違うのです
そこがジャッキー・チェンとキアヌ・リーブスのアクションに影響を与えたところです
さらに目をえぐる、喉の肉をちぎる、そんなグロいシーンのオンパレードは、タランティーノを痺れさせ、影響を与えたのです
そういうところが、ブルース・リーの紛い物でない独自の価値を持つ所であり、本作の見所だと思います
志穂美悦子の主演にもご注目下さい
彼女は1972年10月からJACに17歳で入会して、1973年頃から映画やテレビに出演を始めていました
テレビ特撮「キカイダー」のビジンダー役で名前と顔が売れて、そして遂に本作でブレイクしたのです
まだ初々しいアクションです
生前のブルース・リーは千葉真一の大ファンと公言していたといいます
でもよく考えてみると、当然彼が急死する1973年以前のことです
千葉真一はまだ日本国内だけのアクションスターであった頃であるはずです
なのに、千葉真一の事を知っていたのだから、ブルース・リーの勉強熱心さは恐るべきことです
というより、千葉真一さんのアクションは、本作以前の段階ですでに日本に凄い奴がいると世界のアクション関係者に聞こえていたと考えるべきかも知れません
ともあれ、世界のソニーチバは、本作で誕生したのです