「歌は歌って歌であり、鐘は叩いて鐘であり、愛は与えて始めて愛である」刑事物語 たーちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)
歌は歌って歌であり、鐘は叩いて鐘であり、愛は与えて始めて愛である
武田鉄矢さんが「金八先生」以降に金八先生のイメージを払拭させようとした意欲作です。
見た目は良くないですが、蟷螂拳という武術の達人で命をも顧みない格闘はとても目を見張るものがありました。
なんでも警察官は地方公務員なので、各地を転々と転勤する事はないのだという事ですが、今回も博多署から過剰防衛というペナルティを負って沼津署への転勤という設定です。それよりも身寄りがないという事で刑事が踏み込んだ店のトルコ嬢を身元引受人となって、転勤地まで同伴するなんて事があるのでしょうか。相手がトルコ嬢という事が分かっていながら、いくら身元引受人といっても女子高生を扱うように同居している時に何もしないでいられるものでしょうか。彼女の身元に同情してという描写が少ない気かします。自分の母親が売春婦になるために売られていくような表現はありますが、そのあとで潜入捜査でトルコ嬢を抱くようなシーンもありますので、性を商売としている人には手を出さないというような図式にもなっていないと思うのです。
またこの作品の中で一番納得のいかないところはアパートの隣に住んでいた村上務(田中邦衛)とひさ子(有賀久代)がいつの間にか恋人になっているところです。最初の方のシーンでアパートの隣人として描写はされていますが、何だか不気味な設定で表現されていました。しばらくしてひさ子がかなりセクシーな下着が透けるようなネグリジェを着ていた時に、片山(武田鉄矢)とひさ子の部屋に入ってきて、かなり不気味な感じでひさ子とは初対面のような感じで会っています。そのあとに片山が戻って、その場から村上を追い出します。それも落ち着いた感じで説得する雰囲気で追い出します。そのあとにはそんな恰好をしていたひさ子を片山は「博多の時の事を思い出すような服装はしないように」と言って、ネグリジェを着ていたひさ子を責めますが、村上の事を追求したりはしません。
どう考えてもそんな服装で知らない男と一緒にいた事を責めるようなものだと思いますが、そういう事はしません。
そのあとでひさ子が勤める喫茶店の客として知り合うようですが、ひさ子は怖くなかったのでしょうか。喫茶店での描写ではもうすでに馴染の客のような設定になっていて、再会した時の描写はありませんでした。とても不自然に感じてしまいました。
トルコ風呂の売春と覚醒剤の踏み込みのところなどは何か勢いで踏み込んでいるような印象で、素人を薬で縛り付けてトルコ嬢にする罠にかかってしまったのではと思わせつつ、実は村上のところに行っていたようでした。自分の思いが届かなかった片山はトルコ風呂に踏み込んだ時に、その悔しい思いを持ちながら踏み込み暴れまわります。それが最終的に洗濯業者の社長の秋吉(草薙幸二郎)が黒幕と分かって、事件は解決するのですが、何だかこの辺りは自分のフラれた怒りをそこにぶつけているようで、何だかスッキリとしません。
結局ひさ子から同じろうあ者でもある村上と一緒になりたいという思いを伝えられます。この夕陽の海のシーンはとても良いです。田中邦衛さんがろうあ者で自分の思いを涙を浮かべながら訴えるシーンは名シーンだと思います。
片山は一人青森へと転勤していきます。そこでラストに流れる吉田拓郎さんの「唇を噛みしめて」が流れるのですが、これが良いです。名曲です。