「やっぱりこの人の脱ぐシーン」華麗なる一族 よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
やっぱりこの人の脱ぐシーン
悪い奴なのかもしれないが、企業経営者としてのモラルと情熱を持った男を佐分利信が演じる。この人が出てきたら、毎回期待するのが、背広を脱ぎ捨てるシーン。洋服を脱ぎ捨てるシーンがこれほど様になる俳優が他にいるだろうか。小津安二郎の作品群でも見られた、企業人から家庭における父権の象徴への変換がここでも見られる。しかし、この作品は、その父権主義を主人公自らが崩してしまい、おまけに和服すら身に着けずベッドに横たわっているのだ。
小津の世界で描かれていた、父権の良心はここでは完全に払拭されている。なにしろ、和服を脱いでしまっているどころか、ベッドで隣にいるのは妻ではなく、妾なのだから。妻妾同居の異様な家庭生活。それは、佐分利が小津作品に出ていた時に描かれていた小さな父権社会からすれば、オカルトと言ってもよいほどの狂気の世界である。
もちろんそんな父親に対して、子供たちは一様に否定的だ。なにしろ、自分たちの実の母親が、家庭内で妻としての立場をないがしろにされているのだから当然である。
しかし、銀行の合併が実現して、東京の経済界へ進出することになった主人公は「身辺整理」を断行する。これまでの妻妾同居をやめて、家庭内にしっかりと居座っていた妾に引導を渡すのである。ところが、家庭内で失われた父権は二度と蘇ることはなく、自らの事業を承継するに足る唯一の人物である長男の命も失うこととなる。
それでも、彼は新しく抱え込んだ合併先の行員たちの生活のためにも新銀行の経営を軌道に乗せるべく、部下を叱咤激励するのであった。ここには、好き放題やりたいことをやっているが、最後には自らが責任をとる覚悟の下で組織のトップに立つ新しい時代の父親像、経営者像が描かれている。