「どうした!ゴジラでてこいや! そんな湯浅監督のメッセージが聞こえてくる」宇宙怪獣ガメラ あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
どうした!ゴジラでてこいや! そんな湯浅監督のメッセージが聞こえてくる
本作は1980年突如として公開された
ガメラシリーズは1965年に始まり、1971年の第7作まで毎年作られてきた人気怪獣シリーズだったが、1971年年末に製作会社の大映の倒産によってそこで製作は止まった
怪獣映画はもちろん東宝のゴジラシリーズが本家
そのゴジラシリーズも1969年12月のゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃で一旦終了
その作品も実態は番外編だ
本当は1968年8月の怪獣総進撃で終わっていたのだ
1971年7月にゴジラ対ヘドラが出るまで1年8ヶ月休止
怪獣総進撃からなら、約3年も実質的に休止していた
その間は過去作の短縮版で凌いでいたのだ
つまりガメラが孤軍奮闘して怪獣映画を支えたのだ
しかし力尽きた
その後はゴジラシリーズが復活して1975年まで年一作ゴジラ対ヘドラを入れて5作製作された
しかもゴジラシリーズは夏か冬の公開が通例であったのが、大映倒産後はガメラシリーズが公開される春にスケジュールが移動している
ゴジラがガメラの定位置についた形だ
東宝の中では下位打線になった
しかしそれも1975年3月メカゴジラの逆襲の公開を持って昭和のゴジラシリーズは終了した
つまり新作怪獣映画はこの時点で死滅したのだ
1976年、怪獣映画は無し
1977年夏、キングコング対ゴジラの短縮版公開
1978年夏、地球防衛軍の短縮版公開
以降それも途絶える
このような状況の中で本作は突然公開されたのだ
倒産後の大映は紆余曲折を経て1974年に徳間書店傘下となる
徳間書店は1978年創刊のアニメ雑誌が大当たりしている
それを牽引したのが宇宙戦艦ヤマトだったし、その後銀河鉄道999であった
なぜこの時期にガメラが復活したのだろうか?
徳間書店は大映の持つ過去の優良コンテンツの再利用を考えるのは当然としても何故?
ゴジラ、ガメラの怪獣映画ブームを支えたのは団塊の世代が子供だったからだ
彼らが20歳を迎えた頃に怪獣映画が死滅したのはそれが大きな原因だ
その彼らは、今や結婚し子供を持っている
早いところは幼稚園や小学校に上がり初めていた
徳間書店としてもアニメブームの次の市場も開拓しておきたいのは当然だ
そろそろ怪獣映画ができるのではないか?
親になった団塊世代がそのジュニア世代の手を引いて観にくる怪獣映画の市場が生まれつつあるのではないか?
つまり、本作はその仮説を確かめるための観測気球なのだ
低予算で怪獣映画を作って市場の反応を見てみたのだ
過去作の映像を再編集して新撮影はほとんどない
宇宙戦艦はスターウォーズのもろパクリ
ストーリーはかってのガメラシリーズと同じく子供がメインだ
こんな仕事が出来るのは湯浅監督しかいない
ヤマトや999は徳間書店の力で登場
まあ仕方なしでの登場
集英社のこち亀は亀繋がりとしても、どのような経緯で映画に登場出来たものか?
当時はまだ麗子が初登場する11巻が出たところで
やっと人気が爆発し出した頃だから、集英社も喜んで許諾を出したのかもしれない
映画化を模索していたのだろう
勘吉役の桂小益の再現度合いは高く、1999年に映画化された時の香取慎吾より数段上の雰囲気がある
この人で当時に映画化すべきだったと思う
それはさておき本作は特撮映画としては論評に値しないだろう
それでも本作には意義がある
本作はヒットしなかった
まだ時期尚早だったのだ
しかし怪獣映画の市場がまた生まれつつあるのではないか?との見立ては東宝にも同じ期待を抱かせたはずだ
それが1984年のゴジラ新シリーズの誕生の呼び水になったのだと思う
劇中、ガメラが東京を破壊して歩く
その足元で映画の立て看板が倒れる
よく見ると怪獣映画の看板だ
ゴジラのような怪獣が火を口から吹いている絵柄のポスターだ
題名には「さらば怪獣ドジラ」とある
どうした!ゴジラでてこいや!
そんな湯浅監督のメッセージが聞こえてくる