劇場公開日 1985年4月27日

「とんでもない拾いものだった」哀しい気分でジョーク 詠み人知らずさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5とんでもない拾いものだった

2025年4月29日
PCから投稿
鑑賞方法:TV地上波

コメディアン・TV司会者として「たけし」の全盛期である85年に作製された映画。タレントの名前に頼ったという当時の評価であったと思う。

しかし、今になって観ると、二つ驚いたことがあった。
まず、話題作に俳優としての出演はあったが、「たけし」が初期主演作の一つとして本作品にでたことが、その後の「北野武」としての監督作品に結びついたのではないかと思われること。プログラム・ピクチャーを数多く手掛けてきたヴェテラン監督瀬川昌治さんを知ったことが大きかったのでは。たけしの能力を開花させるためにも、監督のサイドから、映画を作る作法を知る必要があった。確かに、父と子の間のストーリーには、ある普遍性を感ずるが、この映画では協賛にJALとオーストラリア政府観光局の名前があった。こうした援助を絡めて、映画を展開することが、瀬川さんの真骨頂だった。お作法を知った上で、それを壊してゆくことこそが、「北野武」の任務であったと思う。それにしても、ベートーヴェンの「悲愴ソナタ」や、グレン・グールドのブラームスを取り上げたのは、音楽を担当された「いずみたく」さんだろうか。

もう一つは、この映画の中で、コメディアンとしての「たけし」の本音が語られていたことだ。彼の
「不真面目を真面目にやることはできるが、真面目を真面目にやることなんてできない」
というセリフには、驚かされた。その結果、彼は奥さんや周囲に散々、迷惑をかけてきたのだと思う。

「北野武」は本質的には真面目な人間である。素質の上では、彼の両親やお兄さんに、それは明らかであるし、彼自身、数学への指向性は半端ではない。決して器用な人間ではないが、演技も、この映画に出てきた歌も、後、有名になるタップダンスまで、血の滲むような努力の結果として、一通りこなしている。彼が一番、優れているのは、彼独特の感性に根ざしたアイデアが噴き上がってくることだ。それが、漫才、テレビ番組の企画・進行、映画の制作・演出でも明らか。ただ、毒舌、悪ガキのいたずら、暴力の影に隠れているので、必ずしも他の人には見えず、理解されないのだ。その秘密が垣間見えた映画だった。確かに、劇場に行ってまで観る映画ではないかもしれないが。

そういえば、89年以降の「北野武」監督作品だって、淀川さんに激賞されるまで、お笑いタレントが手を出してと、散々揶揄されていたっけ。

詠み人知らず
PR U-NEXTで本編を観る