「ネタバレあります。新しく子供が生まれりゃ良いと言うものでもあるまい。」家族 マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
ネタバレあります。新しく子供が生まれりゃ良いと言うものでもあるまい。
いきなり、長崎県から北海道へ行く馬鹿な家族の話。フィクションを良い事に、主人公達に苦労を背負わせ、見る者のお涙を頂戴しようとする商業主義的映画。だから、この家族は70年代の一般的な家族とは言い難い。
この頃、鉄道は国鉄で、スト権ストとして、4月はベースアップも含めて、順法闘争のストを決行(訂正します。1973年の様です)していたと思う。また、ベトナム反戦と70年安保闘争(訂正します。6月です)もやっていたと記憶する。従って、4月の国鉄はまともに動かなかった(従って、春闘はやっていなかった)。
以上、僕の記憶違いだろうが、混迷した時代で、万博なんかやっている。だから、高度成長なんて言って、一つの価値観でくくれる様な時代ではない。
4月6日に出発して、4月10日に函館に着く。4月9日の夜、青森を出なければならない訳だから、1日以上計算が合わない。どこもよらずに、真っ直ぐに行っても3日かかる。彼らは寄り道を3泊以上している訳だから、『4月12日に着いた』が正解で、物語の設定に矛盾がある。デフォルメの範疇では無い。
寝台列車を大阪で乗り換えて、日本海周りで、寝台急行があった。そのルートを使えば、4月9日の早朝に青森に着ける。しかも大阪から青森は急行だ。長崎から大阪も西海と言う急行が走っていた。貧乏人が新幹線で東京なんか行く訳が無い。僕は長崎から函館まで、同じルートを使って、実際に乗車したことがある。映画と言えども、虚偽を語っては駄目だ。しかも、社会性のある映画なのだから。
北海道見たいな遠い所に行くから、子供が死んだ訳では無い。大阪で死んでいる。つまり、無計画に行動するから、不幸になるという事。
以上
こんな馬鹿な貧乏人はいない。高度成長の日本を、懐かしむとか言っているが、高度成長の時期に酪農に手を出す貧乏人はいない。酪農は農業ではないが、国の減反政策は1970年から始まっている。
北海道民の苦労話をデフォルメしていると、演出家は言うだろうが、子供も親も殺している。『さぁ、明るく酪農に従事しよう』とはならないだろう。火葬して長崎に持ち帰るのが自然の流れ。
民子は詐欺師だと思うが。いくら、エロじじい相手でも、金返さなければ駄目だ。
つまり、この監督は貧乏人の苦労など知っている訳が無いと断定出来る。
初見は良い映画と誤解したが、1970年を知らない人が見るのだろうから、70年代を知る僕としては、誤解を与える商業主義的映画と判断せざるを得ない。
特に、民子の性格に共感出来ないと、2回目を見て思った。
高度成長の時代なのに、この島の炭鉱は1972年に閉山になる。だから、北海道へ行くのである。では、何故閉山になるのか?エネルギーの石油依存が高まったからではない。
先ず、炭鉱労働者は過酷な仕事である事と、大事故が日本では起こっていた事があげられる。
そして、大企業による日本国の基幹産業だった事だと思う。つまり、財閥系の企業が利益を重視して、労働者の賃金を抑えていた。しかも、この島の炭鉱の様に小さな炭鉱は閉山され、大規模の炭鉱に労働者を集約させ、利益を更に上げる事を考えたのである。『馬鹿な家族』とこの映画の家族を言ったが、この家族は、先見の明があったのかもしれない。
な訳が無い。それならば『蛍の光』でこの地を離れるべきではない。その事をきちんと知っていたのなら、こんな演出にはならない。そう、北海道から長崎に戻れないのは、解雇されたからなのだ。