風を見た少年 The Boy Who Saw The Windのレビュー・感想・評価
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アモンの伝説 風のオカリナ。 この行き当たりばったり感、一昔前のRPGみたい。
不思議な力を持つ「風の民」の末裔アモンと、彼の力を兵器に転用し世界を牛耳ろうと目論む「新黄金龍帝国」との戦いが描かれるファンタジーアドベンチャーアニメ。
「森は温か〜い、川は生きてい〜る」という関根勤のモノマネでお馴染み(?)、環境活動家C.W.ニコルによる同名小説(1983)が原作。
総監督は村上春樹原作『風の歌を聴け』(1981)や平成『ゴジラ』シリーズ(1984-1995)の大森一樹。ただ、アニメ映画には『ルパン三世 バビロンの黄金伝説』(1985)の鈴木清順や『フリクリ』シリーズの本広克行など、有名な実写映画監督の名前をとりあえずおっ被せておけみたいな風潮があるので、実質的に制作の舵を取っていたのはおそらく「アニメーション監督」としてクレジットされている篠原俊哉の方だろう。篠原監督は今夏公開予定の「不思議の国のアリス」(1865)を原作としたアニメ映画『不思議の国でアリスと -Dive in Wonderland-』(2025)でもメガホンを握る、今なお活躍するベテランなのであります。
脚本は成島出。『八日目の蝉』(2011)で日本アカデミー賞の最優秀監督賞を受賞するなど、この後映画監督として大成する事になる。
主題歌を歌うのは「フレンズ」(1985)で知られるロックバンド、REBECCA。あれ、この頃にはもう解散してたんじゃなかったっけ?と思ったが、どうやら1999〜2000年くらいの間、一時的に再結成していた様ですね。この活動再開期間中に出した唯一のシングル「神様と仲なおり」が本作に使用されています(余談だが、REBECCAは2015年に再度復活。全国ツアーを行うなど、今なお精力的に活動中の模様)。
声優陣も主人公アモンを安達祐実、ヒロインのマリアを前田亜希が演じている他、戸田恵子や夏木マリ、内藤剛志に『あしたのジョー』(1970-1981)のあおい輝彦まで、なかなかに豪華な俳優陣が参加。
夏木マリと内藤剛志は本作の翌年に公開された『千と千尋の神隠し』(2001)にも声優として参加しているが、もしかしたらこの映画がきっかけでフックアップされたのかも。
とまぁ、参加しているスタッフや演者の名前を書き出してみると、この作品への注力が並々ならぬものであった事に気がつく。公開時期も夏休みシーズンど真ん中だし、ジブリの大ヒットに続けと意気込んでいたのだろうが…。
C.W.ニコルらしく、「自然と人間の調和」を説くメッセージが込められている。…これをアニメで描くとどうしても『もののけ姫』(1997)の二番煎じになってしまうのだがそこは置いておくとして、本作の特色はその異常なまでの陰鬱さにある。
アモンの力を用いて「微粒子爆弾」なる恐ろしい兵器を完成させようとしている「新黄金龍帝国」。完全にナチスドイツがモデルの独裁国家だが、コイツらがマジで容赦ねぇ!アモンの両親にマリアの母親、なんか知らんが色々知ってる長老熊までとにかくアモンの周囲にいる人々を次々と虐殺してゆく。侵略国家の恐ろしさが前面に出過ぎていて、正直環境保全的なメッセージは何一つ頭に入ってこないのであります。
空を飛べる少年が主人公という事で、『ピーター・パン』(1953)の様な牧歌的冒険ファンタジーを期待していると思わぬダメージを喰らう事になる鬱アニメ。ただ、作風が暗いというのは映画の出来とは関係ない。あの傑作『もののけ姫』だって十分鬱アニメだしね。
本作の問題点は脚本の行き当たりばったり感。新黄金龍帝国の支配下にある街ハンベルから始まり、各地を巡った後で再びハンベルへと戻ってくるという少年アニメ定番の「行きて帰りし物語」なのは良いとして、その行程があまりにも不細工。アモンは帝国の飛空艇から風に乗る事で逃亡し、たまたま辿り着いた「心臓の島」で自身のルーツが「風の民」である事を知る…ってそんなご都合主義が通用するかっ!
流れ着いた先のナバーンが帝国の攻撃を受け、それから逃れジャングルの中を彷徨っていたアモンとマリアがハンベルのレジスタンスと合流するというのも展開的に無理があるというか…。そもそも、ハンベルとナバーンって全然風土が違う訳じゃないですか。雪が積もる欧州の様な土地と温暖な東南アジア風の土地が、そんな歩いて行き来出来る様な距離感で存在していて良いのだろうか?
伝説の力を持つ勇者が世界中を旅し、そこで出会った人々の力を借りて魔王を倒す。これは長編映画というよりはテレビゲーム向きの脚本だと思う。アモンに飛び方を教える黄金の鷲や風の民の伝説を伝える長老熊など、主人公に助言を与えるためだけに登場するキャラクターもRPGのNPCの様。全然気候の違うマップが隣接しているというのもゲームあるある。雑にイベントが進行していく感じもゲームっぽい。
なんというか、キャラデザや世界観を含めてPS時代のRPGを彷彿とさせる内容で、懐かしさ…というか古臭さが胸に去来する作品でありました。
特殊な力を持つ主人公というのはアニメやゲームではごく一般的な存在だが、その力にはある程度の限定性が必要だと思う。
本作のアモンの様に、空が飛べる、動物と話せる、ヒーリング出来る、超爆発を引き起こせる、さらには死んでも霊体となって行動出来るという様な何でも有り状態になってしまうと、どうしたってそのキャラクターに思い入れがしづらくなってしまう。「風を見た」というタイトル通り、アモンの力は空を飛べるくらいに止めておくべきだったと思うが、彼の破壊パワーが物語の根幹にある訳だからそれは難しいか…。いずれにしても、デザイン的にも性格的にも能力的にも、もう少し主人公には可愛げがあっても良かったよね。
豪華なスタッフや役者を揃えたにも拘らず、今ではほとんど忘れられてしまった本作。アニメはこういう「そんなんあったの!?」的な作品が多く埋もれている。特に『エヴァ』(1995-1996)がアニメブームを引き起こしてからデジタル化が進むまでの2000年前後にはなんかよくわからない作品がポコポコ誕生しており、本作もそんな作品群の一隅の成す一本だと言って良いだろう。
こういうアニメを専門にして鑑賞しまくるというのも知見を広くする一つの手だと思うが、鑑賞のハードルが高い作品も多く労力が半端ない。それは別の勇気ある人に任せようと思う。
※「アモン」とは有名な悪魔の名前。「デビルマン」(1972-1973)で不動明と融合したのも確かこの悪魔だった。C.W.ニコルはアモンが悪魔の名前と知っていて主人公にこの名を付けたのだろうか?だとすれば一体なぜ??…まぁどうでも良いけど。
風の民のアモン
エンディング曲だけが素敵だった。
しかし、なんつー終わり方だと思った。ブラニックの体の中に幽体みたいな状態で入り混んで作戦中止とか。
出だしは良くて期待できそうな感じだったのだけれど全体的に粗いつくり、編集の悪さが目立っていた。
幼少の頃、死にそうな子ぎつねを蘇らせた不思議な力で蘇らせたアモン。その能力を光遊びと呼び親父がデータとったり分析してエネルギーとするよう研究する。それで爆弾作りたい帝国の独裁者ブラニックに目をつけられてしまう。軍事利用されまいと研究所を焼き払い逃亡するが両親死にアモンだけ助かる。
ブラニックが世界を支配したいとかいうよりも、とにかく破壊したみたいな思考で微粒子爆弾作るのに夢中。それができないとなると船のエンジン落下させてまで破壊しようとする破壊ジャンキー。関係ない太古の遺跡まで焼き払ったりする。重要キャラの老熊も巻きぞえで理由なく焼死。いろんなキャラが次々死んでいく話。ルチアも適当な感じに死んだ。
割と普通に展開していたのは冒頭のシーンとマリア母死す→アモン 怒りの覚醒 光エネルギーで軍隊壊滅してレジスタンスに合流くらいまでのところくらい。
人間…
心臓の主のウルス?が語る裸ぐまの話…〈つまりは人間の話…〉が妙に心に刺さりました。人間がいかに欲深い生き物であるか…動物の目から見るとどのように写っているのか…いろいろ考えさせられるところがありました。
人間とはなんだろうか…どうして欲に溺れてしまうのか…どうしてこうなってしまうのか…そんなことを考えさせられました。
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