「物語類型的には「雪の女王」に似た話」お茶漬の味 Nightmare?さんの映画レビュー(感想・評価)
物語類型的には「雪の女王」に似た話
最後まで観るとなぜ『お茶漬けの味』なのか明確に分かる。これだけ直截的なタイトルの付け方は小津映画としては珍しい。タイトルから「ああ、あの映画ね」と直結できるのはこれと『東京物語』『長屋紳士録』『小早川家の秋』くらいか。(そんなことはない)
主人公は長野から出て理系で機械メーカーの機械部長をしている夫と、少女趣味が抜けず旧友と宝塚の歌を歌ったり、自室を洋室にしている(小津映画で洋室はとても珍しい)妻。
自宅でお手伝い二人が家事を担う裕福な家庭だが、子供はいない。どうやら妻は夫の少し野卑な行動に我慢ならず、夫はそんな妻とぶつからないように距離をとっている。
その関係を象徴するような出来事。夫が先に夕飯を摂っているときに迂闊に汁掛け飯で食べてしまい、それを妻が見て「犬のような食べ方は止しなさい」とたしなめられる。夫は埼玉出身のお手伝いに「君のところではこうして食べないかい?」と聞く。まあ、食べるのだ。かつての日本の民衆は、ご飯(場合によっては冷や飯)と味噌汁と香の物が関の山で、そりゃ汁掛け飯にでもしなければ……。しかし、妻の出自はそうではない。それはこの夫婦は心が通っていないことを象徴的に表現している。
つまり、この妻は心を閉ざした「雪の女王」なのだ。もちろん妻ひとりが原因でそうなったわけではないのだが、そのような状況にあることを様々なエピソードを紡いで観客に印象付ける。そのエピソードがいちいち面白い。
妻の心がどのように解放されるのかは、本編を観てほしい。解放された彼女を他の登場人物は受け入れ、また他にも影響を与える。まさに「雪の女王」。
家事をお手伝いに任せているので、お茶漬けを食べるにも何がどこにあるのやら分からない始末。それを夫婦で協力して準備していく様子がほのぼのと描かれていく。しかもちゃんとお茶漬けを夫婦で食べる!(小津は家族を描くことは多いが、法事や宴席以外で食事を摂るシーンはあまりない)
そうそう、人物を対象とした移動撮影はなくはないが、この映画では人物のいない室内を前進移動する印象的なカットが何度かある(ズームかもしないが、たぶん移動撮影)。これがなぜか登場人物の心の空白を表現しているように感じる。
小津は当時の世相を積極的に取り入れており、この映画でも(他の作品でもたびたび出てくる)野球、パチンコ、競輪、ラーメンなど、ちゃんとストーリーに絡めて登場する。夫が乗る飛行機が「PAA」でこれはPan American World Airwaysの略。Pan Namではないのだ。知らなかった。