劇場公開日 1962年3月4日

「驚くのは坂本九のエンターテナーぶり、ただの歌手ではなく、コメディアンとしての才能に溢れていることの再発見です 九ちゃんの映画をもっと追いかけてみたくなりました」上を向いて歩こう あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0驚くのは坂本九のエンターテナーぶり、ただの歌手ではなく、コメディアンとしての才能に溢れていることの再発見です 九ちゃんの映画をもっと追いかけてみたくなりました

2025年4月1日
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鑑賞方法:VOD

上を向いて歩こう

1962年3月4日公開、日活映画
カラー作品
誰もが知るというか小学校の教科書に載っているので日本国民全員歌える歌を映画化した作品です
元々の歌は前年の1961年10月15日の発売
それが、空前の大ヒットとなり映画化という流れです
併映は石原裕次郎主演の「銀座の恋の物語」
これも前年1961年の大ヒット曲の映画化作品でした
本作ではドラムセットが大きなモチーフになります
ドラムセットと言えば♪オイラはドラマーヤクザなドラマ~と石原裕次郎が歌う「嵐を呼ぶ男」は本作の5年前1957年の日活映画でした
本作の主題歌がヒットした1961年はジャズドラマーの巨匠アート・ブレイキーが初来日して全国各地で公演を行っています
つまりちょっとしたドラムブームだったようです
この辺のセンスはやはり製作の水の江瀧子だと思います
時代の最先端を行ってます

本作の主題歌のレコード発売から映画公開まで半年ですから、企画脚本は年内、撮影は年明けからとしても大変なスピードです
坂本九は大ヒット中の歌手、吉永小百合はまだ大スターになる前ですが二人のスケジュールを押さえるだけでも大変です
米国でもレコードが発売されビルボードのヒットチャートの1位に駆け上がるのは翌1963年のことになります
あるローカル局で何故か局地的ヒットになりそれが全米に広がったそうです
ヨーロッパではそれよりも早く1962年(本作公開年)にイギリスやフランスなどでもヒットしています

アメリカの黒人歌手サム・クックという人が当時大変脚光を浴びてヒット曲を連発していました
少し曲調や歌唱が彼と似ていたことがなにかしら影響したのではと個人的には思っています

日本映画の本作が何か影響を与ええたか?というとまあ何もないでしょう

坂本九は20歳です
ロカビリー歌手の駆け出しでした
驚くのは坂本九のエンターテナーぶり、ただの歌手ではなく、コメディアンとしての才能に溢れていることの再発見です
あのエノケンこと榎本健一から後継者と見込まれただけあります
九ちゃんの映画をもっと追いかけてみたくなりました

1985年の日航機事故で43歳でお亡くかりになられた事はあまりにも有名です、もし事故に遭わなければ、どれほど御活躍をなされたことかと改めて悔やまれます

序盤に
「あの娘の名前はなんてんかな」が劇中で歌われます
主題歌はラストにかかります

吉永小百合は17歳、まだ高校生です
この次の出演作が「キューポラのある街」になります
本作で大きな印象を残したのだと
思います

高橋英樹も17歳
見た目はもう20歳代に見える程大人びています
ブレイクするのはこの作品がきっかけだったかも知れません

お話は歌の歌詞から想像されるものとはかなりかけ離れています
恐らく戦争孤児で施設育ちの九と良二が高度成長の世の中の活況から落ちこぼれて転落していくのをなんとか踏みとどまろうとして悪戦苦闘していくというものです
しかしながらら、ラストにようやく口笛のイントロから主題歌がかかり高度成長に向け若者たちがそれぞれ各所で懸命働く姿がモンタージュされ、まるでミュージックビデオのように出演者達が集団で歌いながら行進していきます
その背後には東京オリンピックに向けて拡張工事中の前の国立競技場の立派な姿があります
いまはどんなに辛くとも明日の成功を信じて歩いて行こうという歌詞に沿ったものとして完結します

観て楽しく退屈しません

あき240
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