「実験としての人生、または、映画から「怒り」を取り除く場合」杏っ子 文字読みさんの映画レビュー(感想・評価)
実験としての人生、または、映画から「怒り」を取り除く場合
1958年。成瀬巳喜男監督。結婚適齢期の老作家の娘は実家で軽いお見合いのような出会いを繰り返すがこれという相手がいない。ある日、いい感じの男に出合って気持ちが動くが、それをきっかけに顔見知りの商店の息子にプロポーズされる。そうして始まった結婚生活と、その若夫婦を見守る老作家とを淡々と描く。
なんといってもすごいのは、自己中心的で酒にだらしがなく、しかも小説も書くので有名作家の義父にコンプレックスを抱いている若い夫の言動のいちいち(ほとんど言いがかり)に対して、若い妻がそれを感情的に受け取らないこと。自分自身を題材にして「夫婦ってどういうものか」という実験をしている感じ。何を言われてもされても耐えてしまう。それは老作家自身がそうなので、冒頭で娘のために怒りをあらわにすることはあっても、それは公平さのためであって、それ以降もふくめて一度も「肩入れ」しない。味方にならない。距離を保って突き放しつつ見守っている。この独特の距離感がおそろしい。
一般的に、「怒り」などで感情的に反発したり、自然の道理や理屈に従った論理的な反駁や乗り越えによってシーンがつらなって映画の物語が展開していくものだが、この二人は感情的に反発しないし、論理的に説得もしないので、物語が展開しない。なにがあっても受け入れて「人生ってこういうもんだよね」と親子ふたりで苦々しく笑い合ってしまう。二人の関係の濃密さだけがどんどん育っていく。すごい映画。
もうひとつの特徴は戦争の影が色濃いこと。昭和22年から25年の設定だが、復員兵がごろごろいて米や酒が配給制になっているという時代的な現実のせいだけでなく、居酒屋では軍歌がでてきてMPを気にしているし、老作家が夫婦の比喩に兵舎をつかったりと必然性のない場面にも戦争の影が。娘の見合いも疎開先でのようだし、戦争映画の一つに数えてもいいのかもしれない。
こういうわかりやすいとはいいがたい映画をつくれるところに当時の映画界の勢いを感じる。