「原作の良さを最大限に生かした脚本・演出・演技の見事な成瀬作品、その簡潔さと完成度の高さ」あにいもうと(1953) Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
原作の良さを最大限に生かした脚本・演出・演技の見事な成瀬作品、その簡潔さと完成度の高さ
名作でありながら成瀬巳喜男作品の中で、殆ど話題に上がらないのが、個人的にはとても残念である。室生犀星の原作は1934年に発表され、2年後の1936年に木村荘十二という監督により映画化されている。この作品が二度目に当たり戦前の時代背景は戦後に移し替えられているが、小説自体のストーリーの良さと内容の深さで違和感がなく、まして水木洋子の脚本と成瀬監督の演出の相性の良さもあって、今日の視点でも高く評価しなくてはならないと思った。
今回幸運にも何十年振りかにVODで再見して、改めて深く感心してしまった。最も驚いたのは、上映時間87分の全編において全く無駄なショットがないことだった。それは、簡潔にして集約されたショットが意味する表現の意図が、すんなり受け手に伝わることである。次にシーンとシーンの間に挟むト書きの適切さとモンタージュのユニークさがある。小津安二郎や溝口健二とは違い、様式美や演出の技量を前面に打ち出さない成瀬監督の特徴から、それらは取り立てて讃える派手さはないのだが、そこに手堅い職人技があり、確かに輝いている。
兄伊之吉が路上で待ち伏せしてから、小畑を追い掛け場所を変えて話そうと言うシーンに、川の濁流を黙って見詰める父赤座のショットがはいる。そして、小畑を問い詰める伊之吉が次第に怒りを抑えきれずに小畑を殴るわけだが、このシーンはスタジオ撮影であった。野外シーンから一度父の様子を入れて場面を変えて、不自然さを抑えている。しかも、その濁流の音と映像が、父赤座の心境表現になっているのと、次にくる只ならぬ雰囲気を予想させる演出の効果も含んでいる。何て考え尽くされたモンタージュであろう。
もう一つは、ラストシーンの一つ前の母りきと妹さんの灯篭流しの場面。駆け落ちの一歩手前までいった製麺屋の養子鯛一は、別の女性と結婚して川下にいたが、さんに気付き立ち上がる。すると満面の笑みで手を振るさんのショットが次に来るのだ。一瞬違和感を感じる繋ぎだが、それは翌朝のシーンで、さんが母に別れを惜しみながらも姉もんと共に家を離れるラストシーンになっている。親の命令に逆らえず、さんと別れた鯛一の後ろめたさと心残り。煮え切らない駄目男のこの表現の巧さ。対して結婚が人生の目的ではないと自分に言い聞かせて、看護師の仕事に未来を託すさんの強い意志の表れ。この展開の持っていき方は、ユニークだし流石である。
脚本と演出の無駄の無さを更に引き立てる、主演の京マチ子と森雅之の名演と役者魂も見応えがある。妊娠して棄てられた女性の哀れさと愚かさを演じる最初の登場の京マチ子が、一年後のお盆の時期に再び帰省して現れる。女独りで子供を生んで育てる覚悟だったが、流産で自暴自棄となりあばずれとなって、兄伊之吉と対峙する。この二人の取っ組み合いの喧嘩シーンの迫力は、名優と演出が作り出した名場面である。ここでは、謝罪にきた小畑を半殺しにしたという言葉を聞いて激高し、怒りを抑えきれず兄伊之吉に物を投げるところから始まるのだが、“誰がお前にそんなことしてくれと頼んだ。何故そんな卑怯な事するんだよ”の台詞で、カメラが真正面で京マチ子を捉えている。二人以上のシーンのほぼ全てを、位置が解る斜めからのカメラアングルで通してきて、ここで初めて使う効果まで考えられていると思った。ここから、母りきが呆れると同時に怖れて、“大変な女に御なりだねぇ”の台詞を口にするのを実証する、京マチ子の激しい立ち振る舞いが演じられる。何より、女性の色気を溢れさせて尚、男勝りですれっからしのもんの強さと弱さの両面を表現する京マチ子が素晴らしい。彼女独特の女優としての存在感は、他に例えようもない。彼女と同年の「雨月物語」でも共演した森雅之は、この時42歳で29歳の京マチ子の兄役には幾らか年を取り過ぎている。しかし、それを演技力で完璧にカバーしているのにも驚いた。一番の見所の、妹もんへの愛情と裏切られた恨みを小畑にぶつけ嘆きながら殴り掛かる難しい場面で、演技で魅せる領域に持って行っていること。結局この二人は、一卵性双生児のような兄いもうとの似た者同士であり、それ故お互いのことを知り尽くして愛しているし、その愛情深さの絆ゆえにぶつかった時の憎しみも真剣なものになる。それがこの名優二人の演技で見事に表現されていた。
他に母りきを演じた浦辺粂子の小畑と会話するシーンも面白かった。これは小畑を演じた船越英二との俳優の相性があるかも知れない。その小畑は、子供の死産を知って安心する無責任さと自分の気持ちの整理の為に謝りにきた男の狡さを持っているが、半殺しには程遠いビンタ数発で済んだことに一安心して、帰りのバスの中で貰った饅頭を頬張るところの呑気さがユーモラスである。船越英二にピッタリの役になっていた。そして、22歳の久我美子の妹さんの存在が、その他登場人物の個性を引き立てる清らかさと純粋さを持っている。男に惚れて変わっていく姉と、生きるために妥協はしたくない潔癖な妹の対比は、当時の女性の生き方の現実と模索を感じさせる。
戦後の漸く社会が安定してきた頃の東京近郊の多摩川沿いの村を舞台にした、兄と妹の激しい愛憎劇と仕事に生きる妹の希望を併せ持った家族のドラマ。脚本・演出・演技と見応え充分な日本映画の名作である。もっと多くの人に触れてもらえたらと、願う。