いつか眠りにつく前にのレビュー・感想・評価
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辛い思い出も、いつかは幸せに変わる。
もう、30年も生きたと思っていましたが、まだまだ人生これからなのかもしれません…。
大好きな人と結婚出産できれば万々歳ですが、人生には思いもよらない出来事が待ち受けています。
絶望することも、後悔することも沢山あるとは思いますが、長い人生を生きた後に待っているのは『幸せだったという過去の思い出』。
生きることは選択の連続ですが、全ての決断に過ちなんて存在しないのだと思いました。
その時大変でも、振り返ってみると、全て正しい選択だったと思えるようになるのかもしれません。
自分を悟るには、まだまだ先は長そうです(笑)
過ちって結局何??
おぉ〜、、いつ眠りについてしまうのか…自分とのたたかいですね。
結局、過ち…過ちと繰り返していたのは実はあの男性と結婚したかったの。。ってこと(・。・`)?そんな事よりバディ!!!!バディメインの過ちではないのか!!???
死ぬ間際になって今までの人生を考えるのはわかるんだけど、あなた死ぬ間際なんですよ?!過去の…しかも何十年も前の男思いだしてる場合じゃなくて〜。
残された人との思い出だったり考えてくれなきゃ〜娘サン可哀想でしょう。
例えばあの人と一緒になっていたらどうなっていただろう…そんな妄想程度ならいい…。それはあるでしょう。
うわ言のように家族に言い聞かせ…いやヒントをあたえまるで追わせるように…彼女の過去へと移るシーンの連続…どうも理解できず…経験を重ねれば理解できるのでは?という意見もあるかもしれない。けど自分の婆ちゃん<母>がそうなったら単純に<嫌>という感情がでる。更には死に際に…
ハッキリいっていくら経験を重ねようが失敗あるいは理想の人との人生でなかろうが理解しかねる(まず理想の人と違う人生ってなによ?)。←実際婚約した人を少なからず愛していたから婚約したのは事実でしょう?愛していたから2人の愛する子供がいるのでは?
後悔しているの?2つの産まれた愛を否定するんですか?
なぜ、こうも…まるでハッピーエンドかのようにできるのか…不倫愛(この作品とは異なるが…)を否定はしない。それも<愛>の一つでしょう…。けれどこの作品では死の間際…再び産まれ変われたならば?か。
それこそ子孫を否定し、子供自身誕生したことを否定している。
ハッキリいってこの作品を見て後悔。なんだよ、死ぬ前に会いたい人ってキャッチフレーズ。
後悔する(振りかえる)人生なら捨ててしまえ、あの雨の日に。それくらいの覚悟…全てを捨てる覚悟があって昔を思い返せ。
苛立って涙ひとつでない。完全な痴呆という設定にしても…やはり自分<子>を否定されているようで…あるいは自分の<夫>を否定している気がして…。
こういった作品は本当に嫌い。二度と見たくない…けど、またいつか出会っちゃうんだろうな〜恋愛ジャンル見てたら…。純愛ものしか彼氏や彼女と見たらNGですね!!(笑)
死の間際。
人は死の間際に自分の人生が走馬灯のように頭の中を駆け巡るといいますが、死がゆっくりと近づいてくるときはこの映画の主人公のように、ゆっくりとそしてそれがまさに今のような感覚になるのでしょうか?
この映画を見て自分もあと何十年したら、こんな風になるのか?それとも・・・。
そんな風に思いました。
メリル・ストリープが友人役として出演していますが、彼女がもうこんな年の役を演じているんですね。
出産してからはあまり映画を見ていなかったので、すこしびっくりしました。
2013.2.15
『いつの間にか眠りにつく映画』でした(^^ゞ
試写会では、ほとんどが女性で埋め尽くされた中で、ストーリーも女性を意識した作品でしたね。普段バードボイルドやアクションを楽しまれている殿方には、映画館がいい「休息」の場となることでしょう。
主人公アンと娘役が似ていて、アンの若い頃の話とアンの娘の話がスイッチバックするため、注意していないとどっちの話か解りにくいところがあります。
但し、この映画の境遇にある晩年を迎えている方や結婚や出産に迷いを感じている人には、凄く安堵させられる作品です。きっとラストで感動されますよ。
ラホス監督は、この作品で美しい浜辺の風景をバックに、人生は完璧を目指しても、なかなかそうならないけれど、たとえ選択を誤ったとしても幸せなる道はあるのだよという優しさ溢れるメッセージを、悩める女性たちに送っています。
時として、結婚の相手は恋をして相手よりも、諸事情で違う人を選んでしまうこともあります。ずっとそのことで後悔したり、夫に対して罪の意識を持つ人もいることでしょう。ラストで親友ライラは、アンに「だってこんな美人のお娘さんを二人も育てたのだから幸せでしょう」というのです。アンの決断はネタバレになりますから省略しますが、やはり運命の扉は絶対ではなく、ひとつの扉が閉じるとき、新たな扉が開くようです。
人生の岐路に立たされたとき、誰だって迷います。それでも潔癖になって失敗することが怖いから、決断すること自体から逃げていては、いつまで立っても幸せにはなれないでしょう。アンやアンの娘のように、とにかく与えられた環境の中で精一杯前向きに生きていけば、それなりに納得のいく人生が過ごせるのではないでしょうか。
アンは決して理想の愛も手に入れず、歌手としての夢も捨て、普通の主婦となったわけです。しかも家事でも完璧にはこなせません。そんな過去の思い通りに行かなかったことに囚われて、ああするべきだった、こうすべきだったと、悲しみの数を数えていたら、いつか眠りにつくとき、この世への執着だらけになります。
この映画のような最期だったら幸せな一生だったと言えるよう、「幸せの数」のほうを常に数えていてくださいね。
●運命を開く力となる、親の人生への理解と共感。
ところで仕事や結婚で失敗しがちな人には、たいがい子供の時のトラウマがあります。このトラウマは実は両親にも同じ性格があって、強く影響を受けています。
ご自身が壁にぶち当たり真摯に反省しなくてはいけなくなった場合、問題点の反省もさることながら、両親の人生を理解すると意外と自己変革できるようです。
子供は両親の原動をよく観察していて、ヘンな習慣や欠点をよく知っているのです。幼心にそういう欠点を裁いていて、その反発心がずっと大人になっても心の奥に残ってしまうのです。その反発心が職場の上司や夫、子供に対してキバを向くことで、気まずい関係になっていくのですね。だからこの映画のように、親の生き方を理解したとき、裁くこころが溶けていき、自分自身も生きていく自信がついていくものなのです。
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