プレイタイムのレビュー・感想・評価
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コメディ映画の究極体(?)タチ崇拝者の為の映画!
タチ演じるユロ氏は、ガラス張りの高層ビルが林立する大都市(パリのどこか)にやって来て、一棟の巨大なオフィスビル(?)に入っていく。そこで延々と一人の男性を探し続けるのだが、彼とのすれ違い、会社=社会という厳格な世界を彷徨って歩き回るユロ氏は哀れというよりも、どこか魅力的だ。
このビル内は殺伐としているが、ふとした瞬間、目を疑うほどに美しいショットが挿入される。
そこから眺めたパリの風景、ほぼ単色の大都市に入り込んでくる観光客のカラフルな服装などがそれで、今まで映されてきた全ての社会人と対比される"遊び人"が見事に描写されている。
後半のレストランでの場面は更に磨きがかかり、
初めは上品を気取った輩の場所だが、ユロ氏が
"偶然"ドアを破壊したことによって、遊び人、ヒッピー、酔っぱらいがなだれ込み、黒と白のみだった人々は緑、桃色といったカラフルさに酔い、遊び心、遊びの時間(=プレイタイム)の大切さに気付くのだった。
それは我々にも同じ事が言える。
この映画は、近代化への批判というよりも、遊ぶことの大切さを伝えたかったのだろう。
それを伝えるためにタチは1000億円以上をはたいてもう一つの世界を創り上げた。(愛読書「e/mブックス ジャック・タチ」から引用すると)「プレイタイム」を観るということは、この惑星に生まれたわたしたちの権利である。」
チャップリンのモダンタイムスへの回答
主人公の服装は、帽子、レインコート、傘
これをチャップリンの記号だと読み解けば話しは早い、チャップリン流のドタバタ映画だと思って観るだけで良いのだ
だから、主人公はほとんど話さないのだ
音楽もない、代わりにそのシーン毎の様々な雑音を大きく誇張してちりばめてある
音楽も後半の宴会シーンでつかわれるが、それはあくまでその場の環境の音として扱われている
つまり、会話も音も音楽もあるが実は無声映画としての作り方なのだ
ストーリーと言うべき程のものはない
パリ都心にあるオフィスビルで行われるオフィス家具備品の展示会に、アメリカからそれらの選定に関与できる総務や秘書とおぼしき女性団体が招待されてやってくる
そのビルにたまたま別の商談に来た主人公との二日間のドタバタ喜劇と思えば良い
ものすごい大掛かりにモダニズムな建築物、その内装、設備を見せる
それらをモチーフに様々なギャグをそれこそ雨うられのように仕掛けてくる
何故にそこまで大掛かりにモダニズムにこだわったのだろうか?
それはチャップリンのモダンタイムスへの回答だからだ
合理的で近代的で無駄の無いようで、ありとあらゆる不合理をギャグであげつらってみせる為にあるのだ
それは近代化しアメリカ化するバリへの監督の抗議でもあるのだ
老警備員のまごつきや、朝のスーパーの店頭で老婦人にフランスチーズをわざわざ英語で書いて!と言わせてみせる
そしてモダンなガラス扉には、美しさエッフェル塔や凱旋門を反射して写して見せるのだ
本当のパリは反対側にあると
冒頭は空港のシーンだ
本作公開の1967年はあのモダンで有名なド・ゴール空港は丁度建設たけなわの時期だ
あのようなモダニズムの大規模な建築物は当時大きな賛否論争がまきおこって批判の声は高かったのだ
その後もモダニズムの流れは続き、あの醜悪なポンピドーセンター、ルーブル美術館のピラミッドに繋がる
本作はそれで良いのかとの警鐘であり抗議であったのだ
しかし結局はドンキホーテでしかなかったのは、本作で破産したことであきらかだ
なせ失敗したのか?
それはクスリとはするが、腹を抱えて笑えないからだ
監督はチャップリンのギャグの才能にはとても届かなかったのだ
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