「「嘘の塊」と「人間の愚かさ」」ファーゴ shinさんの映画レビュー(感想・評価)
「嘘の塊」と「人間の愚かさ」
もう何回観ただろう。そして長いこと騙されていた。
そう、この映画は嘘の塊なのだ。
まず冒頭の約束の時間から間違っている。つまりどちらかが嘘を付いている。息子スコティが家族との食事も早々にマクドナルドに行くと言う。これも嘘かもしれない。ディーラー内で塗装料の件も上司に相談すらしない。ローン会社から車体番号を問われても嘘をつき続ける。
序盤だけでも嘘のオンパレードだ。
そして、嘘の象徴マイクヤナギタ。
目の前で涙ながらに身の上話をされて誰が疑える?
映画が始まる前、重厚な音楽と共に「実話に基づいた話、忠実に再現した」と謳われれば信じてしまうだろう。
こんな事件どこかにありそうだよね、と思わせるくらい、世界のどこかで些細なことから始まった悲劇は繰り返されている。そのくらい人間とは愚かなのだ。
そして最後、「普通」「平凡」が一番だよねと訴えてくる。あれだけ凄惨な殺人事件を見せられた後に、小さなことに幸せを感じるシーンにとてもホッとさせられる。
「人生はお金よりも価値がある」
こんなありきたりなセリフが胸に響く。見事な展開、脚本だ。
この映画を名作にしてくれたのは他の誰にも代わりは務まらないと思わせるキャスティング。そして、音楽、撮影地。
どれをとっても完璧である。
おそらく正解はないだろうけど、限りなく正解に近いレビューを目にしたときは、それはわたしがこの映画に飽きるときかもしれない。それまで繰り返し繰り返しこの映画を観て、人様のレビューを参考に、出来るだけ正解に近いこの映画のメッセージを理解できるようにしたい。
何か強烈なメッセージを感じるのだけど上手く言い表せない。出来るだけ、自分の言葉で感想を綴りたいので、人様の感想、レビュー、考察は読まないようにしているのだけど、もっとこの映画を知りたい、理解したいと思っている以上、そろそろ参考がてら見てみようと思う。
ささやかなことに幸せを感じる私たちって素敵よね、と素朴さに満足してしまう夫婦も、見方によっては十分間抜けだ。だからといってそれが悪い訳ではないのだけど、どこか皮肉を感じる。
ささやかなことに幸せを感じる私たちって素敵よね、と素朴さに満足してしまう夫婦も、見方によっては十分間抜けだ。だからといってそれが悪い訳ではないのだけど、どこか皮肉を感じる。
画面いっぱいに映し出される”Accordion King”のポスター。何か意味があるのだろうか。
わかって貰えると思うが、もちろんキャストを馬鹿にしているわけではない。役作りとして終始徹底しているはずだ。シェフだって十分間抜け面だし、シェフとカールの騒動にクレームを言いにきたホテルの隣人も間抜け面だし、ゲアが殺した警官を目撃した車の中の人も間抜け面だった。おそらくこの映画のテーマと思われる、わたしが勝手に解釈しているテーマ「人間の滑稽さ」がとてもよく伝わる。
行動言動が間抜けなところも目立つ。身代金の話をでかい声で喫茶店で話す間抜けぶり。その喫茶店の女性店員も間抜け面だ。駐車場の料金所の男性二人も随分な間抜け面だった。クラブのエスコートガールももちろんだし、極め付けは何を言いたくて通報したのか分からないモーラという男性。間抜け面かどうか顔はよく見えなかったが、話し方がこの上なく間抜けだった。
誘拐犯の二人ももちろん、彼らと寝た娼婦二人。やたらカールを「変な顔」と変な顔をした娼婦が連呼しているところが笑える。マージやノームも本当にどこか間の抜けた顔だし、早朝の電話から事件現場に直行すべきなのに、悠長に朝食を取る間抜けぶり。マージの同僚警官も皆間抜け面だ。コーヒー片手に現場検証。間抜け過ぎる。警官のくせにカープレートのDLRの意味も分からない。
また観てしまった。何でこの映画にこんなに惹きつけられるのか分からない。見るたびに新しい発見があるわけでもない。いまこの映画のレビューにタイトルを付けるとしたら、「全員間抜け面」だろう。ジェリーはもちろん、妻のジーン、息子のスコティ、義父のウェイド。ジェリーが働くディーラーの上司。ローン会社ライリーの声だけでも間抜け面が目に浮かぶ。