「本作はこの当時の左翼運動が如何に駄目であったのか残酷な迄に直視している」日本の夜と霧 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0本作はこの当時の左翼運動が如何に駄目であったのか残酷な迄に直視している

2019年10月13日
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1960年10月公開
6月の60年安保闘争の敗北を受けて、その直後に製作されていることを頭に入れて、また日本の学生運動の終戦直後からの歴史を勉強しておくことが、本作を観るには必須の準備になるだろう

60年安保闘争と学生運動の敗北
のみならず1950年代の全学連による反破防法阻止闘争の敗北
さらには日本共産党と新左翼の対立
それらを映画という形で総括している
結婚式でのスピーチがそれぞれの立場からの主張となり討論会的な様相を示しつつ総括している

題名は「日本」の「夜」と「霧」の三語ではなく、「日本」の「夜と霧」の二語だ
夜と霧とはアラン・レネによる1955年の同名のフランス映画に由来する
元々の夜と霧とはヒトラーの占領下の政治犯のドイツへの移送許可指令のこと
政治犯が夜霧のように跡形もなく拉致され消息が知れなくなったこと

本作でも消える人間が二人いる
1人目は60年安保成立のその日、病院から抜け出してデモの参加して消えた学生
二人目は公安のスパイ嫌疑を受けた少年を故意に逃がしたとして共産党の査問会にかけられ自殺を半ば強要された男

しかし本当に消えてしまったのは何か?
学生運動で目指した筈の理想だ

そもそも結婚式に押し掛けて政治な思想路線の討論の場とするような政治活動が、大衆の支持を得るものか共感を得るものなのか
何も分かっていない
結婚式の終盤には日本共産党の方針と滔々と述べ、違う路線を主張する者達を激しく批判するリーダーが登場するのだ
呆れてものも言えない

本作はこの当時の左翼運動が如何に駄目であったのか
路線闘争の対立に明け暮れているのか
大衆と遊離してしまったものであるのか
それを残酷な迄に直視して見つめている

そこは大変に評価したい
下の世代に自分達の敗北のトラウマの暗喩を投影した物語を映画にするような卑怯で姑息な態度ではない
真正面から見つめて一歩も逃げてはいないのだ

基本的に日本の左翼活動は本作で批判される惨状から少しも変わってはいない
果たして本作での対立は70年安保闘争と学園紛争の敗北の構図と同じだ
そしてその後の内ゲバをも予告している
自己批判しろという象徴的なワードも飛び出すのだ

21世紀の若者も本作を観る価値は大いにある
日本の左翼運動の真実、現実、欺瞞、決定的におかしい部分を嫌というほど知ることができる教材となるだろう
団塊左翼老人達に騙され洗脳され、都合よく使い捨て利用されないように、かれらの正体を知る術になると思う

夜と霧それはナチスドイツのヒトラー総統命令だが、21世紀の現代になんと同じ指令が発令されようとしていたのだ
そしてすんでのところで大衆の阻止闘争によって撤回を勝ち取っているのだ
それは香港の逃亡条例だ
正に中国に政治犯を移送するそのやり口は全く同じものだ
だから香港市民はあれほど抵抗して撤回を勝ち取ったのだ
学生や既存の党の「前衛」が先導する闘争ではない、一般の大衆が勝ち取ったのだ
香港の学生達は大衆を先導したり指導したりしてはいない
彼らは大衆のスポークスマンに徹していたのだ

本作で語られる彼らが渇望した理想とした大衆主導の革命はこの香港の運動にこそあるのだ
現実に実践されているのだ

皮肉にも指弾され、打倒されるべき体制とは中国共産党なのだ

共産党や共産主義そのものが、打倒されるべきファシズムであり、反動勢力であり、帝国主義であり、逆コースに向けようとする存在なのだ

団塊左翼老人は21世紀のその現実を直視して、本作のように総括をすべきだ
自己批判すべきなのだ

若者達を騙すのはもうやめて欲しい

あれから60年も経ったのだ
あなた達と一緒にその妄執は墓場に埋める時がきたのだ
火葬場で燃やしてしまう時がきたのだ

あなた達の妄執の骨は忘却という無縁仏に埋葬してあげよう

あき240
シャムシュローシェさんのコメント
2024年1月7日

町山智浩の代わりに映画評論やってw

シャムシュローシェ