戸田家の兄妹

劇場公開日:

1941年製作/105分/日本
配給:松竹
劇場公開日:1941年3月1日

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映画レビュー

3.5戦争へ向かっていく日本

2025年2月6日
PCから投稿

円満に見えていた戸田家だが家長の父が亡くなってみると子らの我欲があらわれて居候の母は冷遇され居場所がなくなり海辺の別荘暮らしを余儀なくされる。だが5人の子のなかでも次男昌二郎(佐分利信)と三女節子(高峰美枝子)の兄妹だけは母を慕っており結局次男は赴任先である天津へ母と三女を連れていく──という話。

1939年に日中戦争から復員した小津安二郎の帰還一作目にあたる。公開された1941年当時天津は関東軍が占領していた。日本は日本海をへだてて日本の三倍の面積をもつ満州国をもっていた。時代はナショナリズムが台頭し皆が日本を列強だと信じこんでいた。12月には真珠湾を奇襲し太平洋戦争へとなだれこんでいく。
戦前と戦後の小津映画の違いは男性の態度でわかる。戦前の男たちはまだ権勢と尊厳が保たれ、封建的な印象をもっている。簡単に言うと威張っている。戦後は自信をうしない受動的になり庶民生活に埋没する男像が主流化する。

戸田家の兄妹にはのちの東京物語につながる悲哀が描かれている。親が死んで葬儀が済んでみると、とりわけ悲嘆暮れることもなく、子供らは形見や遺産を整理してさっさと自分の生活に戻っていく。

東京物語においても母の葬儀が終わると実子は東京へ帰り義理の娘である紀子(原節子)が残って周吉(笠智衆)の世話をしている。それを悪びれた次女(香川京子)が「ずいぶん勝手よ、言いたいことだけ言ってさっさと帰ってしまうんですもの。お母さんが亡くなるとすぐお形見ほしいなんて、あたしお母さんの気持ち考えたら、とても悲しくなったわ、他人どうしでももっと温かいわ、親子ってそんなもんじゃないと思う」と愚痴る。それを受けて紀子は「でも子供って大きくなるとだんだん親から離れていくものじゃないかしら……誰だってみんな自分の生活がいちばん大事になってくるのよ」と言う。
東京物語はこの紀子のセリフに集約されている。結婚し出産し育てた子が巣立ちやがて孤独な最期がくる──世の家族はそのようにして輪廻というかサイクルを踏んでいくというのが東京物語の骨子だからだ。

ただし戸田家の兄妹のばあい、次男昌二郎と三女節子だけは母への孝心をもっている。戸田家の子供らは善玉と悪玉が描き分けられていて、そのことから連想していくと、東京物語につながる一方、1979年版の犬神家の一族につながる映画でもある。

高峰三枝子は歌う映画スターの草分け的存在と言われたが団塊の子供世代のイメージとしては犬神家の一族とフルムーンの印象が大きい。
23歳だった可憐な戸田家の妹が、犬神家ではおごそかな長女松子役で「すけきよ」の母親だった。
「すけきよ見せておやり!」

フルムーンというのは高齢夫婦向けの国鉄(現JR)グリーン車両切符の商標で上原謙と高峰三枝子が群馬の法師温泉に入浴しているシーンがTVCMになった際高峰の胸が大きいと話題になった。今拾いの画像を見ても節度ある肩出しで、なんてことはない。が、当時見た時は高峰三枝子の豊かな胸を目の当たりにしたかのような衝撃があった。

可憐で心優しい戸田家の妹は時代を経て犬神家の長女となり、そこでは昌二郎が天津から帰ってきたように、すけきよが戦地のビルマから帰ってくる。
佐兵衛翁の遺言状でほとんどの財を寄寓の珠世(島田陽子)にもっていかれ、三姉妹の怒りは頂点に達する。このとき次女の梅子役をやった草笛光子の2021年のインタビューがMovieWalkerにあった。

『1990年の5月、高峰の訃報を受けた草笛はすぐに高峰邸へと向かったが、それは『犬神家の一族』の撮影中に交わした約束を果たすためだった。「『犬神家の一族』で三姉妹が顔を白塗りにして、犬神佐兵衛の愛人、菊乃をいじめるシーンがありましたでしょ?その時、私のお化粧が上手だと言ってくださって、高峰さんが『今度、私が舞台に出る時は、お化粧をしてね』とおっしゃったんです」。
草笛はその時の約束を忘れてはいなかった。「ちょうど舞台で地方のホテルに泊まっていた時、テレビで高峰さんが亡くなったことを知りました。それで『お化粧をしてあげなくちゃ』と思い、大急ぎで化粧品を持って高峰さんのご自宅に伺いました。まだ亡くなったばかりで本当にきれいなお顔でした。私は高峰さんに口紅や頬紅を付けましたが、きっと楊貴妃はこんな顔をしていたんじゃないかと思えるくらいに美しかったです。『約束どおり、私がお化粧をしましたよ』とお伝えしました」。』

戸田家の兄妹は、孝心深い昌二郎が母と妹を救ったことでハッピーエンドにみえるが、現実には天津へ行ったとて、やがてすぐ終戦がきて帰国することになるだろう。1941年からずっと未来に生きているわれわれから見ると敗戦からはじまる混乱期のことを考えると戸田家の兄妹の中で語られる結婚問題が霞んでみえる。すぐにそれどころじゃない時代がやってくるのですよ・・・。しかし戦争もやがて終わる。死ぬか生きるかの戦時とはうってかわって平時では結婚するかしないかということが事実上個人の大問題になるのだ。従軍して生き延びた小津安二郎は映画の中でいつもそれを言ってきた。

戦後ヒットした「懐かしのブルース」は1948年の高峰三枝子の主演映画であり主題歌だそうだ。

『古い日記のページには涙のあともそのままにかえらぬ夢のなつかしく頬すりよせるわびしさよああなつかしのブルースは涙にぬれて歌う唄』

英題Brothers and Sisters of the Toda Family、IMdb7.3、RottenTomatoesトマトメーターなし、ポップコーンメーター85%。

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津次郎

5.0淀川の旦那のお気に入り

2025年2月4日
PCから投稿

ローアングル、無意味な会話の繰り返し、会話のあとの長い沈黙、場面間の空ショットなど戦後小津名作で頂点を極める小津調の原型であって一旦の完成でもあります。

東京物語に共通するテーマですが、家族の断絶の露骨な描写、ドタバタ的なラストシーンなど洗練度においては東京物語に及ばないものの、却ってドラマに良くも悪くもメリハリがついています。

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越後屋

5.0家族崩壊と明るい未来

2025年1月19日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

1941年。小津安二郎監督。事業に成功して財をなした父親が、一族そろって妻の還暦を祝った日に調子を崩して他界。財産を調べてみると家屋敷や骨とう品などをすべて売り払う必要があることが判明する。同居していた妻と末娘は家を失い、家族の厄介になることになるが、、、という話。
のちの「東京物語」とよく似た物語で、家族とはいえ一緒に暮らすことの苦労、家族よりも日々の生活を優先してしまう心情が描かれている。異なるのは、日ごろか家族から厄介者扱いされているが、最も家族を思っている次男の存在だ。物語は、次男が家族一同を一喝し、妻と末娘を自身が働く中国大陸に同行すること、そして次男に訪れる恋の予感で唐突に終わっている。全体の暗いトーンと、東京物語にはない底抜けに明るいエンディング。
また、階級が丁寧に描かれるのも特徴。家族のどの家にもお手伝いさんがいて、家族たちのお手伝いさんへの態度はかなり横柄に描かれている。妻と末娘の境遇は明らかにお手伝いさんと比較されていて、そういう比較なしにストレートに家族からの冷遇を描く東京物語とは大きくことなっている。相対的な不幸というべきか。そういえば、次男の恋の相手となるだろう女性も「働く女性」として階級的な視線でみられている。もちろん、家族の女性たちで労働に従事している者はいない。
最初の写真撮影が崩壊の予兆であるとは蓮實重彦が喝破したとおり。

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