「この価値観をどう理解するかで好きになる作品」風が吹くまま ku-chanさんの映画レビュー(感想・評価)
この価値観をどう理解するかで好きになる作品
テヘランから約700キロ離れたクルド人の田舎の村Siah Dareh(シアダレ)へ入って、珍しいといわれている弔いを取材するためクルーと来たベーザード。
村の老婆が亡くなりそうだということを聞き駆けつけてきて彼女がなくなるのを待っているが、いっこうに亡くならない。周りの住人はこの老婆のお世話が上手で、なかなか思うようにベーザード(人は彼のことをエンジニアと呼んでいる)は取材に持ち込めない。テヘランからはまだかまだかと催促の電話連絡が入るが、電話のコネクションが悪く、村の山のてっぺんまで、車を走らせていって、経過報告。何も進展していない経過報告。砂埃を立てて何度も車を走らせるシーンは滑稽でもある。道中で会う人々との会話はエンジニアのストレスが溜まっている心に安らぎを与える。どの人たちとのその会話は『人間味』を呼び起こす会話である
テヘランの取材班と一緒に弔いを取材するわけだし、それに、マスコミで働いているエンジニアにとってはクルドの村の人間の生活はまだるっこいかもしれない。でも、村の人々との親睦により彼が、ここの住人のようになっていくといったらいいか、人の死を待ってそれをネタにして作品をつくろうとしている自分に罪の意識が出てくると言ったほうがいいかも。
途中、エンジニアが車に乗せたある男のひととの会話が好きだった。母親の最初の傷は(多分深いシワ)姉亡くした時、その次の傷は伴侶に見せた愛で、仕事のボスのいとこが死んで、工場で誰か辞めなければならないとなった時。。。。。。。。。車を降りる時、かれは松葉杖をついていた。この車の中での会話の理解を私はまちがえているかもしれないが、人間は弱い面があり、それを人生として生きていることをそのまま見せる。一見どうでもいいようにきこえる話だが、我々の人生において遭遇するかもしれないし、大事な言葉になっている。(他の人のレビューを読んだ方がいい)
キアロスタミ監督は大事そうでないことが大事なんだといっているようだ。
最後の方に井戸を掘っている男が土砂崩れにあって、土に埋まってしまったのを助けるという皮肉な展開。医者も来てくれ、無事に穴から救い出したが、エンジニアは死ぬのを待っている老女のところに寄ってくれと医者に請う。それに、薬もとりにいくが不幸にもこの老女はかれが帰ろうとしている時、朝なくなる。カメラ一つだけを持っているエンジニア。すでに取材班は痺れを切らしてテヘランに帰ってしまっている。弔いにいく女の人たちの写真を何枚か撮って、その場を車でさる。
キアロスタミ監督は日本で映画を撮影しているが、その映画についてニューヨークで講演をしているのを聞いたことがる。詳しくは覚えていないが、日本では稀に見る体験をしたと。日本の人々が気に入ったようだ。主役の日本人俳優にまた、自分の作品に出て欲しいと頼んだら、その主役の男性は、脇役にならと、へりくだった言い方をしたらしい。それも、褒めていたし、謙譲の文化が好きなようだ。日本の伝統文化はちょっとイランのと似ている文化。乗せてくれてありがとうの代わりに、邪魔して悪いですねという文化が好きなようだ。