単騎、千里を走る。のレビュー・感想・評価
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タイトルの如く
タイトルと、雲南が舞台、チャンイーモウということで期待して、鑑賞。
タイトルの通り、高倉健が単騎暴走しまくり、側から見たら、迷惑なひと。今どきならコミュ障といわれそうな、人付き合い下手な、高倉健だから許されるキャラの父。
声が小さくて、遭難しそうな山の中で人を呼んでも聞こえない!!
思いつくこととその結果がめちゃくちゃで、気のいい村人たちをを翻弄するがみんな良い人で暖かく受け入れてくれる。そんな中で、冷えた、コミュ障に陥っていた息子との関係を見つめ直す。よく出来過ぎだ、息子の嫁。
文革のようなことで、父親をうばわれた訳ではなく酒で身を持ち崩しだ父親と、父に会ったことない、遺棄され村の共同体に育てられる子。
普通ならルール違反となるようなことに優しく親しく金儲けや保身や出世のためではなく献身的にサーブてくれる通訳達。やや体制迎合的な、肩透かしというか
、物足りなさを感じるものの、
雲南省の野山、雪山、岩山の雄大で美しいこと、その懐で貧しくも心豊かに暮らすひとたち。これだけで十分と思えた。
すべてが許される高倉健のキャスティングでなければ、また違った味わいが出たかも。
最高のファンレター
迂闊にも健さん主演の冒険活劇かと思っていたら訳あって離別した父子愛の物語だった。
日中合作だがチャン・イーモウ監督の健さん愛が実現した中国映画と言っても良いだろう。
全く違う映画だが「バジュランギおじさんと、小さな迷子」を観た時と同じようなピュアな人間像の描写に圧倒された。難しい国情もあるのだろうかインドや中国には頭でなく心でつくる映画作家が活躍していることに畏敬の念を禁じ得ない。
チャン監督は無口で哀愁を秘めた高倉健の大ファンであり良き理解者なのだろう、うってつけの役を当ててきた、そして呼応するかのようにプロットも多くは語らない、健さん親子の過去も京劇役者の親子のいきさつもほぼ観客の想像に委ねられている。
実の息子を抱きしめることはできなかったが父の愛を知らない異国の地の幼子を抱きしめることで失われた時を取り戻せたであろう感慨がひしひしと伝わってきた。
監督は民族を超えた人間愛のような高尚なテーマをもって作品に臨んだようだが本作は紛れもなく健さんへの最高のファンレターかもしれない。
高倉健とチャン・イーモウ
高倉健とチャン・イーモウが組んだ2005年の作品。
正直特筆するほど素晴らしいって訳でもないが、この作品はやはり、運命的な巡り合わせ、それを反映させたかのような話にじわじわ余韻が残る。
文化大革命後、中国で初めて公開された日本映画が、高倉健主演の『君よ憤怒の河を渉れ』。この作品は空前のメガヒットとなり、以来高倉健は中国でも国民的大スターに。
チャン・イーモウも高倉健に心酔した一人。映画監督となり、名作『あの子を探して』を発表。これを絶賛したのが高倉健。
言わば“両思い”の二人が組むのは運命的なものを感じずにはいられない。
そんな二人が組んだ作品が人と人の繋がりを描いた感動作なのは必然であった。
漁師の初老の男・剛一の元に、長らく疎遠の息子が病に倒れたとの報が入る。見舞うが、対面すら拒絶される。
息子は民俗学者として、中国で長い歴史を持つ仮面劇を撮影し、途中であった。
それを知った剛一は、息子の代わりに仮面劇を撮影しようと単身中国へ…。
寡黙で不器用な役柄はまさに高倉健の為の役。
役柄も話もまるで高倉健に当て書きしたようだ。
イーモウのリスペクトの深さを感じさせる。
中国に渡ったのはいいものの、問題続出。
劇を演じる役者は今刑務所の中に。
何とか撮影許可まで漕ぎ着けるが、その役者が突然泣き出す。息子に会いたい、と…。
剛一の目的はかなりの無理難題。
その為に、異国の地で、異国の人々が、協力の手を差し伸べる様が、出来過ぎではあるが静かに胸を打つ。
何故彼らは知らぬ異邦人の為に尽力するのか…なんて、わざわざ言葉で説明する必要も無いだろう。
役者の為に息子を捜す剛一。
言うまでもなくこれは、彼ら父子に自分と自分の息子を重ね合わせたのだろう。
旅路の中、剛一に悲しい知らせが。
この旅で、父と息子の関係に変化は起きたのだろうか。
結局疎遠のまま、再び言葉を交わす事も顔を合わせる事も出来ないまま…。
しかし、間違いなく確かに、父と息子の思いは再び通じ合った。
高倉健とチャン・イーモウが組んだのは本作一回だけ。
また組んで欲しかったとも思うが、一回だけのままなのもいい。
運命的な巡り合わせはそう何度も訪れるものじゃない。
生涯唯一の。
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