こころの湯のレビュー・感想・評価
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銭湯は庶民の憩いの場だった?
銭湯といえは、内湯(家のお風呂)がない人や、狭い内湯ではなく広い湯船にとっぷりと浸かりたいという人が利用するものではなかったでしょうか。
評論子の世代では、もう、そんな意識だったと思います。
銭湯は、体を洗いに来るための場所…。
しかし、本作は、銭湯がマチの社交場だった時代の設定のようです。
聞きかじりですが、江戸幕府は、銭湯での深夜の興行(漫談、落とし噺)を禁じたといいます。
表向きは、たくさんの人たちが灯明を掲げて深夜まで集会をするのは、木造家屋が密集する江戸のマチでは火災の危険が大きくなるからという理由だったそうですが、本当のところは、漫談や落とし噺はとかく幕府のご政道を批判することも多く、酔いが回った民衆が、多くこれに賛同することを恐れたからといいます。
やはり、銭湯は人々が多く集まる憩いの場だったようです。
そんな時代が、本作の背景なのでしょう。
観終わって、ほんわかと気持ちまでも温かくなるような一本でした。
北京の銭湯「清水池」
Zhang Yang チャン・ヤン監督の映画はSoul on a String (Tibetan: རྒྱུད་སྐུད་སྟེང་གི་རྣམ་ཤེས) とこの映画しか見たことがない。この映画は今回で2度目で、最初みたときは繁体字の看板が見られたので、台湾の映画かと思った。その後、中国語(北京語)の先生にこの話をしたら、看板は繁体文字が多いとのことで台湾映画ではなく北京が舞台の映画だと理解した。北京の下町で銭湯「清水池」を営む父親リュウ(朱旭)は知的障害(mentally challenged son)のある次男、アミンと共に銭湯を営み、深圳市に住む長男のターミンとは異なって社会共同体の中でのんびりした生活をしている。客人は人前では歌えないオオソレミヨを初めてとして時間がありそうな人たちに見えるが、この和気藹々とした裸での付き合いをしたことがないせいか、不思議な感じで見ていたが、まったく理解できないわけではない。私の性格上、こういうのんびりするふれあいの雰囲気は好みじゃあないかも。ある日、アミンの描いた絵葉書がターミンを帰省させる。
私は朱旭の長年のファンで、彼の演技のうまさが気にいっている。(特に、The King of Masks) 映画、こころの湯で一番好きなところはターミンの表情がやわらんできたり、行動に気遣いが見えて変化していくところだ。絵葉書の誤解から、ターミンは迷惑そうな不機嫌な顔つきで、店の手伝いもしなければ、毎日シャワーですませている。でも、だんだん彼の行動や顔つきに変化が現れ、父親の元に残ろうか否かで心が動いている様子が手にとるようにわかる。
アーミンの優しさの表し方が父親リュウが表してもらいたい優しさと違うが、リュウはそれをうれしそうに受け止める。アーミンがマッサージ機を父親に買ってあげる例などはまさにその典型だ。でも、風呂屋が古くなってきて雨のなか屋根の雨漏りをなおす父親を手伝うシーン。ここで二人の心(優しさを表す心)が一致した。
アーミンが黙って父を手伝うのがいい。
風呂の中で髪をとくシーンはちょっと不思議だった。女性の髪をとくのは北京の文化で官能的な意味があるのかもしれない。
いい湯だな♨
リズミカルなマッサージ、「オー・ソレ・ミヨ」を歌う男。こおろぎの相撲ゲーム。暖かくなるようなシーンが多い。常連客に対しては、肩を治したり、アドバイスを与えたり、夫婦仲の危機を救ったりと、とても人情派のリュウ父さん。女風呂はないんかなぁ~などと余計なことまで考えてしまった。
親孝行しなければと「ちょくちょく帰ってくるよ」と言ったときには、リュウは死んでしまった。いい映画なんだけど、細かなエピソードが多く、家族の絆のテーマが弱くなってしまったかもしれない。
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